僕はね、正義の味方になりたいんだ
前回の記事は「気がつけばそんな毎日の繰り返しが、変わらぬ日常となっていた」でした。
ここ数か月、小説『Fate/Zero』からの引用が続いていましたが、このシリーズは今回が最後となります。戦闘シーンやマスターが脱落するシーンについては、アーチャーVSライダー戦を除いては引用していないので、今後そういった場面を使って引用をする機会もあるかもしれませんが、とりあえずは今回が最後の区切りとなります。
【ここからネタバレ含む】
最後なので『Fate/Zero』の結果をさらっとネタバレします(内容を知りたくない人は、この部分を飛ばしてください)。
第4次聖杯戦争は、勝者なしのノーコンテスト(無効試合)のような形で終了しました。勝者なしで終わった理由は衛宮切嗣が令呪(絶対命令権)を使ってセイバーに聖杯を破壊させたからです。なぜ切嗣が願望機である聖杯を破壊させたかというと、聖杯が切嗣が思っていたような望ましいモノではないことに気がついたからです。
また聖杯を破壊する寸前まで生き残っていた英霊サーヴァントはセイバーとアーチャーの2名です。この両者の一騎打ち(セイバーが満身創痍であったために何も出来ず、アーチャーの一方的な展開となる)中にセイバーに対し切嗣から聖杯を破壊するようにとの令呪が発動されます。そして聖杯を破壊することで最後のエネルギーを使い果たしたセイバーはそのまま消滅しました。アーチャーの方は、破壊された聖杯から溢れた泥に飲み込まれてゆくこととなる。
ちなみに聖杯戦争に参加した7人の魔術師マスターの中で第4次聖杯戦争後に生き残ったのは、セイバーのマスターである衛宮切嗣、アサシン(途中からアーチャー)のマスターである言峰綺礼、ライダーのマスターであるウェイバー・ベルベットの3名。
衛宮切嗣は体内に封入していた『アヴァロン(全て遠き理想郷)』(セイバーの法具)のおかげか、聖杯が破壊された後の凄惨な状況の中でもなんとか生き延びることが出来たが、それでも聖杯の泥を浴びたダメージの蓄積でその後の生活では消耗が激しく、聖杯戦争の5年後に死亡する。切嗣は聖杯破壊直後に、街が壊滅状態でありながらもまだ死んでいない幼い子供(士郎)を見つけて、その子供を自分の養子とし5年間育てます。その士郎が第4次聖杯戦争から10年後に起こる第5次聖杯戦争の物語となる『Fate/stay night』で主役として登場することになります。
言峰綺礼は衛宮切嗣との一騎打ちに敗れて、実は一度は死亡している(聖杯が破壊される少し前)。しかし、聖杯が破壊された後の泥に飲み込まれたアーチャー(ギルガメッシュ)を、その泥がギルガメッシュを消化出来ずに吐き出し、逆にギルガメッシュ受肉してこの世界に留まることとなった時、その影響からかギルガメッシュと魔術回路でつながっている綺礼もこの世界に生き返ったようになります。綺礼は生きているように見えるのだが、心臓は止まったまま動いていないことから、エネルギーの供給はすべてギルガメッシュから受けていると思われる。言峰綺礼とギルガメッシュは『Fate/stay night』(第5次聖杯戦争)でも主要キャラクターとして登場します。
ウェイバー・ベルベットは、ただ一人ほぼ無傷で生還。旅をした後、ロンドンの時計塔に戻り講師となる。第5次聖杯戦争が始まろうとしていた時、再び英雄王イスカンダルを召喚してそこに参戦するつもりだったが、諸事情のため見合わせすることとなる。
また、この7月より大人として成長したウェイバー・ベルベットが主人公として登場するアニメ『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 』の放映が開始されています。
【ここまでネタバレ含む】
今回の記事は、衛宮切嗣が息を引き取る間際の妄想(と思われる)シーンからの引用です。子供の頃、シャーレイに質問された時には言えなかったが、本当はあの時に口に出して言えばよっかたのだと気がついた切嗣の誓いの言葉です。
誓いの言葉を口にする。今のこの気持ちを、いつまでも、決して忘れずにおきたいから(Fate/Zero)
——ケリィはさ、どんな大人になりたいの?——
眩い日差しの中で、彼女に訊かれる。
その微笑みを、その優しさを、決して失いたくないと。
こんなにも世界は美しいのだから、今この瞬間の幸せが永遠であってほしいと。
そう思うから、誓いの言葉を口にする。
今のこの気持ちを、いつまでも、決して忘れずにおきたいから。
——僕はね、正義の味方になりたいんだ——
虚淵玄『Fate/Zero 6 煉獄の炎』
ケリィとは、衛宮切嗣が子供の頃に住んでいたアリマゴ島で呼ばれていた略称です。
切嗣が島に住んでいた当時、切嗣の父の助手として4つ年上のシャーレイという女性がいました。そのシャーレイを切嗣が異性として意識し始めていた時に、彼女から「ケリィはさ、どんな大人になりたいの?」と聞かれました。そして、その時の切嗣は彼女に幼稚だと思われたくなくて「……そんなの、内緒だよ」と答えています。
でも、本当はこう答えたかった。シャーレイに誓いたかった。
僕はね、正義の味方になりたいんだ
人は忘れてしまう生き物です。こんなこと一生忘れられないだろうなと思うようなことでも、数年後には全く思い出しもしないことはたくさんあります。また、その時の出来事は覚えていても、その時に心に抱いた思いは全て消えてしまっていることもあるでしょう。
切嗣は養子である士郎に、『自分が子供の頃に正義の味方に憧れていた』という話をしていました。切嗣はその時の士郎の話を切欠に、なぜ自分が正義の味方に憧れるようになったのかをふと思い出します。実はそう思った切欠についてはその時思い出すまで、完全に忘れていたことに気づくのです。
これまでずっと正義の味方で在り続けようと戦いを繰り広げてきたのに、『なぜそう在りたいと思うようになったのかを完全に忘れて』、ただただ機械のように正義の味方として行動してきました。
正義の味方という言葉だけはいつも存在しているのだが、その言葉が意味することを忘れてしまったばっかりに、自分はただただ磨り減っていくしかなかったのだと切嗣は思い返します。
その微笑みを、その優しさを、決して失いたくないと。
こんなにも世界は美しいのだから、今この瞬間の幸せが永遠であってほしいと。
シャーレイに訊かれた時に切嗣が本当に答えたかった、『僕はね、正義の味方になりたいんだ』には、この想いが込められているはずだった。
そして、この想いを言葉に出し強く自分に誓っていれば、どんな絶望に遭遇したとしても、磨り減ることなく、あこがれを胸に抱いていたあの頃の強い自分に立ち戻れていたはずだったのではないかと。
そう思うから、誓いの言葉を口にする。
今のこの気持ちを、いつまでも、決して忘れずにおきたいから。
誓いというのは、ただただそのことを思ったり言葉で言うだけでなく、その言葉に込められた想いを忘れずに強く胸に刻んでおくてめのものです。そういった想いの込められた誓いは、理想の在り方を示してくれるため、迷ったときにも自身を導いてくれる強い力となるのです。
『今のこの気持ちを、いつまでも、決して忘れずにおきたいから』言葉にするのです。
そこに、これはいつまでも決して忘れたくないという想いがなければ、誓いであってもそれはただ言葉であり指示にしかすぎません。
人はどんな大事に思っていても忘れる生き物なのです。だから絶対に忘れたくない想いを短い言葉にして誓うのです。
たまにアファメーションとかでも3ヵ月唱えたけど何の効果もありませんとか言う人がいますが、それはアファメーションやマントラなどのことを、唱えれば何でも叶う魔法のランプと勘違いしています。
そうではなくて、それらは自分の在り方や胸に刻んでおきたいことを忘れずに行動に反映させるために、唱え続け無意識に落とし込んでいくためにやっているのです。あくまでも行動するのは自分です。神や仏や宇宙や無意識も後押しや手助けをしてくれるかもしれませんが、動くのはあくまでも自分自身です。
自分が動くために、そしていつまでも心に刻んでいたい自分の在り方を決して忘れないために、私たちは強い想いを短い言葉にして誓うのです。
——僕はね、正義の味方になりたいんだ——
名曲です!! アニメ『Fate/Zero』後期OP『to the beginning』Kalafina
[Kalafina to the beginning Studio LIVE]YouTube
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。