それだけの数の教師がいて、莫迦でいられるはずがねえ(月の影 影の海)

前回の記事は自分を今よりももっと良くしようと本気で思えば、その方法は自然と見えてくるでした。

いきなりであれですが、小野不由美さんのファンタジー小説である『十二国記』シリーズが、昨日18年ぶりに新刊を発売しました!!

 

新作は『白銀の墟 玄の月(しろがねのおか くろのつき)』で全4巻の長編作品となっており第1巻、第2巻が10月12日、第3巻、第4巻が11月9日発売となっています。

 

短編を除くメインストーリーとしては2001年5月に発売された『黄昏の岸 暁の天 』以来ということでかなり長い時間がかかりましたが、待たされたファンにとってはようやく止まっていた時が進むという感じでしょうか。

白銀の墟 玄の月 第一巻 十二国記 (新潮文庫)

白銀の墟 玄の月 第二巻 十二国記 (新潮文庫)

 

『黄昏の岸 暁の天 』終了時点では、まだ大きな問題は解決されないままでした。

泰麒や李斎がこれからどうなるのか?泰王である驍宗はどうなったのか?

11月に発売される第3巻、第4巻含めてじっくりと楽しませてもらうかと思います。

 

『十二国記』をひとことで言い表すならば帝王学です。(あくまで個人的な意見です)

ひとことで言いすぎて、知らない人には全く伝わらないかと思いますので、詳しく知りたい人は公式サイトをどうぞ。

『十二国記』とは何ぞや→小野不由美「十二国記」新潮社公式サイト

 

まぁ、『十二国記』シリーズは読まないと人生ひとつ損してると思っていいくらいの作品ですので、このブログの読者様にも是非おすすめしておきます。

(ただしエピソード0である『魔性の子』から読み始めると、人によっては何が何だか意味不明なホラー小説と思ってしまう可能性があるので『魔性の子』は後回しにして、エピソード1から順に読みエピソード8『黄昏の岸 暁の天 』を読み始める前に読むようにすることがおすすめです。でも人それぞれ好みは違うので『魔性の子』から読んでもらっても全然かまいません)

 

ということで、『白銀の墟 玄の月』発売記念として今回の記事は十二国記エピソード1の『月の影 影の海』からの引用を使ってお届けします。

それだけの数の教師がいて、莫迦でいられるはずがねえ(月の影 影の海)

「ましな人間になりたいんだったら、王座に就いて、ましな王になれ。それがひいては、ましな王に人間になるってことなんじゃねえのかい。王の責任は確かに重い。いいじゃねえか。重い責任で締め上げられりゃ、さっさとましな人間になれるさ」

「なれなかったら?」

「ましになる気があれば、嫌でもなれる。麒麟と民がお前の教師だからな。それだけの数の教師がいて、莫迦でいられるはずがねえ」

小野不由美著:十二国記『月の影 影の海』(下)

 

この引用の背景を説明しようと書きしましたが、ネタバレ全開の内容になったので消しました。

まぁ端折って簡単に言えば、王になりたくない主人公の陽子の言い訳に対し、陽子と旅してきた楽俊がガツンと言ってる場面です。

 

今回のポイントとなるのはこの部分

「ましになる気があれば、嫌でもなれる。麒麟と民がお前の教師だからな。それだけの数の教師がいて、莫迦でいられるはずがねえ」

 

言っていることは、前回のブログ「自分を今よりももっと良くしようと本気で思えば、その方法は自然と見えてくる」で言っている内容と重なっています。

 

ようは、本気で自分を今よりもっと良くしようと思ったら、良くならないはずがないということです。

 

なぜなら、本気で自分を良くしようと思ったら、自分の周りには自分が良くなるための材料が溢れていることに気づくからです。また自分が必要としているものに自然と目が向くようになります。

 

自分の周りにいる人が先生となり、自分のいる場所が学びの場となるのです。

 

すなわち、生きることがそのまま学びなるようになるのです。

 

コーチングで言われる、ゴール設定をすればやるべきことが見えてくるとはこういうことです。

 

だから本気でやろうとすれば、成長しないほうが難しいのです。

 

しかも陽子の場合は王という場が用意されているので、陽子が莫迦だろうがなんだろうが王として振る舞わなければいけなくなります。

 

コーチング的になりたい自分になるには、もうすでにそうなっているという前提で振る舞うというセルフコーチングの手法があります。

 

美徳を身につけていないのなら、せめてそのフリをしなさい。(ウィリアム・シェイクスピア『ハムレット』)

 

陽子の場合、周りの目もあるのでいつでも王として振る舞う必要があり、陽子に王の在り方を教えてくれる存在もいて、なおかつ自分に本気でもっとましになりたい気持ちがあるのであれば、その状況で、今よりましになれないなんてあり得ません。

 

楽俊が言っているのはそういうことです。

「ましになる気があれば、嫌でもなれる。麒麟と民がお前の教師だからな。それだけの数の教師がいて、莫迦でいられるはずがねえ」

 

本気で成長したいと思っているのであれば、成長しないでいるほうが難しく、なおかつそうせざるを得ない場に自分を置くことが出来たら、人は驚くような速さで成長することが出来るのです。

 

意識の持ちようで全てが変わります。

成長することを喜びとし、生きることを学びとしていきましょう。(そうしたければ)

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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