前回の記事は「どうすればそんなふうに正しいことができるんでしょうか?(十二大戦)」でした。
妬良(寅)の「どうすれば、そんなふうに正しいことができるんでしょうか?」という問いに対して、失井(丑)の回答はシンプルに明快でした。
1、まず正しいことをしようとするだろう
2、次に正しいことをする
つまり、ゴール設定とそのための行動が必要だと言うことです。
今回も、アニメ『十二大戦』から、妬良(寅)と失井(丑)との会話の引用です。
前回引用した会話の続きになります。
もし君が正しいことが出来なくて苦しんでいるのだとすれば、それは君が正しいことをしようと思っていないからだ(十二大戦)
失井(丑)「つまり、正しいことというのは、しようと思わなければ出来ないということなのだがね。人は、なんとなく間違う。流れに沿って悪へと落ちる。理由もなく、思想もなく、思い切りもなく、気づいたときには、当たり前のように道を誤るものだ。」
妬良(寅)「(道を?)」
「しかしね、それに反して気づかないうちに正しいことをしていた、とか、いつの間にか善行を働いていた、とか、うっかりいいことをしていた、とか、そういうことはない。絶対にない。意思がなくては正しさはない」
「正しい行動には、正しい意思が不可欠なのだ。正しいことは、しようと思わなければ出来ない。もし君が正しいことが出来なくて苦しんでいるのだとすれば、それは君が正しいことをしようと思っていないからだ」
『十二大戦』第10話「虎は死んで皮を残す」
古代哲学者のアリストテレスが言うように、人間は習慣の生き物です。生きていくうちに思考パターンや行動パターンが決まってきて、無意識にそのパターン通りの行動を繰り返すようになります。そして、その無意識のパターンが、セルフイメージであり、その人の信念であり、現状を作っています。
習慣は便利です。何も考える必要はありません。しかしながら、何も考えないということは流されて生きていくことになります。流されて生きるということは、周りの環境次第であなたの人生が左右されるということです。
共鳴の法則により、私たちは似た者同士が集まるように出来ています。ということは、思考停止状態で生きている人の周りには、同じように思考停止状態の人が集まっているということになります。
人は、なんとなく間違う。流れに沿って悪へと落ちる。理由もなく、思想もなく、思い切りもなく、気づいたときには、当たり前のように道を誤るものだ。
思考停止状態で自分の頭で考えないことが現状維持だと思ったら、それは大間違いです。思考停止でいるということは、周りが見れていないということでもあり、気づいた時には道を誤っていたということが起こります。何も考えてなさそうな現状維持でさえ、少しは思考しているのです。何も考えなければ少しずつ下がっていくだけなのです。これもまたマタイ効果です。思考する者としない者とでは、その差は大きく広がってくるのです。
富める者はますます富み、貧しき者は持っている物でさえ取り去られるのである
新約聖書マタイ伝13章12節
あなたが自分を変えようとしたいのであれば、することは単純です。
習慣を変えることです。
習慣を変えるためには、今までの無意識まかせのパターンを変える必要があります。そして無意識を変えるためには、変えたいことを意識に上げなければなりません。なぜなら意識に上げなければ、無意識に今まで通りのパターンで生活してしまうからです。
意識に上げて、意識に上げたとおりに行動することを繰り返すことで、それが新しいパターンとなり、しなくなったパターンと入れ替わって習慣化するのです。これが自分で地道に行う内部表現の書き換えになります。
「しかしね、それに反して気づかないうちに正しいことをしていた、とか、いつの間にか善行を働いていた、とか、うっかりいいことをしていた、とか、そういうことはない。絶対にない。意思がなくては正しさはない」
習慣は強力にあなた自身を縛っており、あなたが意識していないのに急に良い方向に変わることはありません。水は高いところから低いところに流れるので、悪い方向に変わることはありますが、思考停止状態で何も意識せずに良い方向に変わっていくということはありえません。
良い方向に変わるためには、変わろうとする意思と行動が必要なのです。そしてそれを、意識してやり続けることが必要なのです。
あなたの中にある習慣化しているパターンを書き換えるには、それなりの時間と労力が必要なのです。たとえ一瞬で気持ちを書き換えることが出来ても、それを意識して持続させないことには意味はないのです。
もし君が正しいことが出来なくて苦しんでいるのだとすれば、それは君が正しいことをしようと思っていないからだ
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。