もっともっと愉しむことに貪欲になろう

 

前回の記事は精神が壊れてしまったから、その分だけ生命が長持ちしたんですでした。

今回も小説『Fate/Zero』からの引用でスタートします。言峰綺礼(悩み解消済み)と相対した間桐雁夜の綺礼に対する印象についての文章です。※引用文中の神父とは言峰綺礼のことです

この状況を、あの神父は‟愉しんで”いるのではないか……(Fate/Zero)

この男の態度には、あからさまな余裕がある。それは決定的な秘策を握るが故の自信の顕れかもしれないが、それだけど断ずるには、あまりにも——彼には、戦いに臨むという危機感、策を巡らすという緊張感が欠落しすぎているのではないか。

強いて言うならばあの笑顔は、むしろ遊戯に興じている子供に近い。恩師に背き、父の敵を討つという名目で共闘しているこの状況を、あの神父は‟愉しんで”いるのではないか……

虚淵玄『Fate/Zero 5 闇の胎動』

 

まだ小学校に入る前の子供の頃を思い出してみましょう。

人によって多少の違いあるでしょうが、多くの人が無意識に愉しさを追い求めていたのではないかと思います。愉しいことが見つかったらそれに夢中で取り組み、別な愉しいことや飽きたら今までやっていたことに未練を残さずにあっさりとほっぽり出してしまう。また、嫌なことに対しては泣いたりわめいたりしてはっきりとした拒絶の意思表示をする。子供の頃は、そんな無邪気でやりたい放題な毎日を送っていたのではないでしょうか?

 

その後、無邪気だった子供は成長するにつれていろいろなことを学び真似ていきます。成長するために学習することはとてもいいことですが、同時に周りにいる人から大きな影響を受けることにもなります。なぜなら、まだ自分で判断する能力が低いために目上とされる人から指導されたことや、周りの人達の多くがやっていることを、それを良い悪いの判断なしに受け入れていく傾向があるからです。

 

その受け入れられ無意識に書きこまれた中に、自分の中から愉しさを排除する作業があります(たぶん)。どういうことかというと、愉しいでいいのは、愉しんでいいとみなされた時間だけであって、授業中や宿題など何かを学んでいる時は愉しんで学ぶのではなく真面目に真剣に取り組むべきことなのだと書き込まれます。

 

本来、学ぶということは新しい世界が広がることであり、それはとても愉しいことのはずですが、その愉しさを表現することはいけないことであると、周りからの同調圧力により思い込まされます。先生が話をしている時に、新しい学びへの喜びから自然と笑顔になったら「授業中に何を笑っているんだ」とにらまれれます。今まで解けなかった算数の問題が解けるようになって喜んだら「授業中は静かにしろ、緊張感が足りないぞ」と怒られます。

 

また、勉強をしている時に愉しい素振りを見せるものなら、「勉強するふりしながら、別なこと考えて遊んでいるのか!もっと集中して真面目にやれ!!」と怒鳴られたりします。

最初は愉しく学んいるだけなのにどうして怒られるのかが理解出来なかった子供も、そんなこんなが続くことで学習します、勉強する時は愉しんではいけないのだと。少なくとも愉しいことを表に出してはいけないのだということを。

 

そうこうするうちに、愉しんでいい時間とそうでない時間を使い分けるようになります。学校の休み時間だけは笑っても大丈夫だというような感じです。それは愉しんでいいのは愉しむことを赦された時間という限られた制約であり、その時間以外に愉しむことに対して罪悪感を埋め込む洗脳装置のように有効に働きます。

 

そして、大人になってからもその思考パターンは当たり前の常識として無意識に機能します。勤務時間や何かをしなければならない時は愉しまずに取り組み(少なくとも表面上は)、勤務時間外や休日のみが息抜きや愉しむことが出来る時間であるという認識です。

 

なぜ、勉強や仕事を愉しんでやってはいけないのでしょうか?

なぜ、勉強や仕事を愉しくやっている人を非難するのでしょうか?

 

彼には、戦いに臨むという危機感、策を巡らすという緊張感が欠落しすぎているのではないか。

 

真面目にやらなければいけないという思い込みは、根深いものがあります。勉強だろうが仕事だろうが他のことだろうが、本当にやりたくてやっていることであるなら、愉しい気持ちになってもなんらおかしくないのです。それを勉強や仕事をまるで苦行をするがのごとくに捉えるから、自分の苦手なことや、やりたくもないことに取り組むことを美徳のように思い込んだり、今やっていることをどうやったら愉しんで出来るかといったような生きる上での賢い頭の使い方までをも否定してしまうのです。

 

強いて言うならばあの笑顔は、むしろ遊戯に興じている子供に近い。恩師に背き、父の敵を討つという名目で共闘しているこの状況を、あの神父は‟愉しんで”いるのではないか……

 

このブログの読者の方には是非人生を愉しく生きてほしいと思っています。そのためには、何をしている時であれ愉しむことの優先順位を高くあげてほしいのです。そして、もっともっと人生を愉しむことに貪欲になっていいのです。

 

愉しく生きるコツをあえて上げてみるとすれば、次の3つです。

〇 今やっていることを愉しむ。

〇 自分が愉しいと思うことをやる。

〇 自分の大事な人を愉しませる。

 

まぁその他にももっとあると思いますが、愉しむとこくらいは他人に決めてもらわずにどんどん自分で見つけていきましょう。いずれにせよ、どう生きるかを決めるのはあなた次第なのですから。

 

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今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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