自由のない精神の中で何を大切にするか
前回の記事は「私の仕事は皆を等しく救うことです~ゴールが先で方法は後から」でした。
今回は、只今絶賛放映中のアニメ「ブギーポップは笑わない」からの引用です。第9話からの引用ですので、これから見ようとされる人はネタバレにご注意ください。
ちなみにブギーポップ(不気味な泡)とは、世界の危機など周囲に異変を察知した時に、女子高生・宮下藤花の中から自動的に人格が浮かび上がってくる存在のことです。と言われても意味不明と感じる人が多いと思われますが、気にせず読み進めてください。
君はそのがんじがらめに縛られた世界の中で何を望む?(ブギーポップは笑わない)
谷口正樹「だけど、それじゃ、洗脳ってことは、僕が、僕が織機を好きなこの気持ちも操られただけで嘘だっていうことか?」
ブギーポップ「君は今までずっと、自分が自由に行動していると思っていたのか?君はこれまで、自分の意思だとハッキリ自覚して行動していたことがあったのかな?」
「君が社会に適応しているということは、言い換えれば社会に都合のいいよう洗脳されているとも言える。誰だかもわからない相手にね。問題はその自由のない精神の中で何を大切にするかということだ」
「僕は、僕は、、、」
「君は、そのがんじがらめに縛られた世界の中で、何を望む?」
「僕は—」
アニメ「ブギーポップは笑わない」第9話
洗脳というと、なにやら怪しげな感じで自分とは関係のない世界の話だと捉えられるかもしれませんが、まぁ私たちはある意味では全員洗脳されています。洗脳という言葉だと刺激が強すぎますが、それが教育と言われると安心されるかと思います。
君が社会に適応しているということは、言い換えれば社会に都合のいいよう洗脳されているとも言える。誰だかもわからない相手にね
私たちは、生まれてからこれまで、親をはじめとしてたくさんとの人とのかかわりや、メディアなどから入ってくる情報を通して、この社会でどう生きていくのかを学びました。
どこで学んだか、誰から学んだか、どのグループで学んだかによって、なんとなく似たような雰囲気や価値観を身に付けるようになります。わかりやすく言えば、国民性のようなモノです。ひとりひとりの人格は違いますが、同じ教育を受け同じような環境で育ったことで、他の国の人とは明らかに違う国民性が染み付いています。
子供の頃から繰り返し入ってきた教育や情報は、やがて無意識に刷り込まれます。無意識は習慣であり思考や行動のパターンとして機能します。という事は、言い方を変えると自分で判断する能力がない時に習慣やパターンを埋め込まれたとも言えます。
ここで誤解してほしくないのは、子供に教育するのが間違っているわけではないということ。生きていくためにはいろいろな教育や知識を習得していくことは当然必要です。また、極端でなければ何らかの思想的なことを教育されることも、成長過程においては必要かとも思われます。自分で判断できない分、ルールや規則を決められたり他人の考えをコピーさせてもらうというのは合理的です。
問題は自分で判断できるような大人になってからです。成長するにつれて、誰だかわからぬ相手に埋め込まれた習慣や価値観というレールの上を歩いていることに気づきます(いや、気づけない人もいます)。自分が、決められたレールの上で与えられた選択肢の中から選んで行動しているだけだと気づきます。
問題は、その自由のない精神の中で何を大切にするかということだ
自分が自由だと思い込んでいただけで、本当は自由ではなかったことに気づきます。それは、あなたの行動はあなたの意思よりも、あなたの無意識によって支配されていたという現実です。
そして、その現実は逃れようとするとすぐに引き戻しにかかります。ホメオスタシスの働きです。染み付いた習慣とはなかなか変えられないのです。
その、なかなか変えられない無意識の習慣を変えるためには、あなたの強い意思が必要です。その意思とはあなたの精神の中で何を大切にするかという信念です。夢、やりたいこと、ゴール、なりたい理想の自分、自分の中の守るべきモノ、のことでもあります。
「君は、そのがんじがらめに縛られた世界の中で、何を望む?」
この世界で、あなたは何を望むのか?
世間や無意識という、がんじがらめに縛られた世界の中にいることがわかった上でなお、この世界で自由に行動したいのであれば、自分の望みはこれだとハッキリ自覚して行動することです。
自分の望みを意識に上げて行動しないかぎり、流されるだけの人生が続いていくのです。
君は今までずっと、自分が自由に行動していると思っていたのか?君はこれまで、自分の意思だとハッキリ自覚して行動していたことがあったのかな?
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。