
前回は「テレビの地上デジタル用アンテナの話」でした。
貴様のそういう卑屈さこそが、すなわち覇道の兆しなのだ(Fate/Zero)
ウェイバー「要するにマスターなんてどうでもいいって言いたいんだな。僕がどんなに弱かろうと、そもそもおまえには問題にもならないんだな」
ライダー「なんで、そうなるんだぁ、おい。貴様のそういう卑屈さこそが、すなわち覇道の兆しなのだぞぅ。貴様は四の五の言いつつも結局己の小ささをわかっておるのだからなぁ」
「それ、ほめてないぞ!バカにしてるぞ!!」
「そうとも坊主、貴様は筋金入りのバカだ。貴様の欲望は己の埒外を向いている。彼方にこそ栄えありと言ってなぁ、余の生きた世界ではそれが人生の基本則だったのだ」
「だからバカみたいに、ひたすら東へ遠征を続けたのかよ」
「ああ、そうだ。この目でオケアノスを見たくてな。だが、結局夢は叶わなかったわい」
「(えっ!あの海を見ていないっ!?)」
「オケアノスは今なお余の目指す場所、見果てぬ夢よ」
「(あの海はライダーが胸に抱いていた心の景色なんだ)」
「笑うがいい、2000年の時が経とうと、未だ同じ夢を抱き続けている余もまた大バカ者だ。だから坊主、バカな貴様との契約がまっこと快いぞ!」
アニメ「Fate/Zero」第13話
今回はアニメ「Fate/Zero」からの引用です。「Fate/Zero」は「Fate/stay night」のスピンオフ作品になります。「Fate/stay night」と言われても何のことやらわからない人も多いと思うのでウィキペディアを引用して軽く紹介します。
「Fate/stay night」とは
日本のとある地方都市「冬木市」に数十年に一度現れるとされる、持ち主のあらゆる願いを叶える「聖杯」。7人の魔術師(マスター)は7騎の使い魔(サーヴァント)と契約し、聖杯を巡る抗争「聖杯戦争」に臨む。聖杯を手にできるのはただ一組、ゆえに彼らは最後の一組となるまで互いに殺し合う。
「Fate/stay night」関連記事:「イメージするのは常に最強の自分だ~セルフイメージの話」
「Fate/Zero」は、「Fate/stay night」の中で断片的に語られていた10年前の聖杯戦争のストーリーであり、「Fate/stay night」の主人公である衛宮士郎の養父・衛宮切嗣が主人公の物語です。「Fate/Zero」はスピンオフ作品であり最終的にどうなるのかもネタバレしているにもかかわらず、本編の「Fate/stay night」に優るとも劣らず、今世紀最高のアニメと言っても過言ではないスゴイ作品です。(個人的見解)
冒頭の引用は、7人のマスターの1人であるウェイバー・ベルベット(19才の青年)と、そのサーヴァントのライダー(征服王 イスカンダル=アレクサンドロス大王)との会話になります。
通常サーヴァントはマスターに使われる存在であり、マスターの命令に従い動くのだが、ウェイバーとライダーはそのような関係ではなく、ライダーが勝手に判断し勝手に行動して、なおかつウェイバー自身も認めるほどの能力もあるため、聖杯戦争においてマスターであるはずの自分自身がまったく役に立っていない。そのため、未熟な自分ではなく別な人がマスターであったならライダーは簡単に聖杯を手に入れられるはずだ、そして自分はいてもいなくても関係ない存在なんだと卑屈になって落ち込んでいる時にしている会話です。
ライダー「なんで、そうなるんだぁ、おい。貴様のそういう卑屈さこそが、すなわち覇道の兆しなのだぞぅ。貴様は四の五の言いつつも結局己の小ささをわかっておるのだからなぁ」
コーチングに興味を持つ人には、何かしら悩んでいたり現状に満足していない人が多いです。まぁそれは当然です。今の自分のままで満足している人が、コーチングを受けようなどとは思わないです。
何かしら悩んでいたり現状に満足していないということは、今の自分では満足していないということです。まだまだこんなはずではないという認知不協和です。自分はもっと成長できるはずだ、今の自分では満足出来ない、このまま終わってたまるか、という想いと現状の自分との差が認知不協和を呼びます。
この手の認知不協和は大歓迎です。なぜなら自分の現状の実力を把握してなお大きなゴールを掲げている証明になるからです。
そして認知不協和はあなたを悩ませます、あなたをゆらがします。それは現状維持を優先しようとするホメオスタシスの働きです。ホメオスタシスに従うことはとても楽です。なぜなら何もしなければいいだけだからです、何もせずにゴールをあきらめてしまえば、悩みも認知不協和もなくなります。
問題となるのは、あなたがどちらを選ぶかです。進むか戻るか。進むことには困難が待ち受けており、戻ることには安定が付いています。自分を変えるとはあえて困難な道を進んでいくことです。
ウェイバーのように自分の未熟さを本気で嘆いている人は、もうすでに困難な道を進んでいます。自分が越えなければいけない壁をしっかりと見ています。だからこそライダーはウェイバーの嘆きを聞き「覇道の兆し」だと言っているのです。
自分の師や追い求めるモノとの絶望的な差を感じてなお、あきらめずに夢やゴールへと向かって行こうとする信念。そんな時の悩みであれば、それはあなたの成長にとって大歓迎なのです。
といったところで、そろそろお時間となってしまいましたので続きは次回ということで。