前回の記事は「貴様のそういう卑屈さこそが、すなわち覇道の兆しなのだ(Fate/Zero)」でした。
前回はアニメ「Fate/Zero」の引用から、ウェイバー・ベルベットの葛藤について話ました。
なんで、そうなるんだぁ、おい。貴様のそういう卑屈さこそが、すなわち覇道の兆しなのだぞぅ。貴様は四の五の言いつつも結局己の小ささをわかっておるのだからなぁ
人は大きな壁にぶち当たり自分の未熟さや能力のなさを突き付けられたときに、目の前にある2つの道のうちのどちらかを選びます。
ひとつは、夢や自分の成長をあきらめて、今までと同じ毎日を歩んでいく道。
もうひとつは、理想と現実の違いを突き付けられてなお、その悔しさや悩みを胸にしながら、あえて困難が待ち受けているのがわかっている方向へと向かう道。この道には成長や新しい可能性が待ち構えています。そしてこのような道のことを覇道と呼びます。(そうなのか!?)
自分を変えていきたいと何らかの行動を起こしている人の中には、理想と現実との自分の違いに認知不協和や葛藤を起こして悩まれている人もいるかと思いますが、「自分は今、覇道を進んでるんだ」「自分自身の手で未来への扉を開いてるんだ」という主人公マインドを持って進んで行ってほしいと思います。
彼方にこそ栄えあり(Fate/Zero)
ここで、アニメ「Fate/Zero」から前回と同じ会話文を引用します。
ウェイバー「要するにマスターなんてどうでもいいって言いたいんだな。僕がどんなに弱かろうと、そもそもおまえには問題にもならないんだな」
ライダー「なんで、そうなるんだぁ、おい。貴様のそういう卑屈さこそが、すなわち覇道の兆しなのだぞぅ。貴様は四の五の言いつつも結局己の小ささをわかっておるのだからなぁ」
「それ、ほめてないぞ!バカにしてるぞ!!」
「そうとも坊主、貴様は筋金入りのバカだ。貴様の欲望は己の埒外を向いている。彼方にこそ栄えありと言ってなぁ、余の生きた世界ではそれが人生の基本則だったのだ」
「だからバカみたいに、ひたすら東へ遠征を続けたのかよ」
「ああ、そうだ。この目でオケアノスを見たくてな。だが、結局夢は叶わなかったわい」
「(えっ!あの海を見ていないっ!?)」
「オケアノスは今なお余の目指す場所、見果てぬ夢よ」
「(あの海はライダーが胸に抱いていた心の景色なんだ)」
「笑うがいい、2000年の時が経とうと、未だ同じ夢を抱き続けている余もまた大バカ者だ。だから坊主、バカな貴様との契約がまっこと快いぞ!」
アニメ「Fate/Zero」第13話
そうとも坊主、貴様は筋金入りのバカだ。貴様の欲望は己の埒外を向いている。
ウェイバーの悩みに対してライダー(征服王 イスカンダル=アレクサンドロス大王)は、ウェイバーのことを「筋金入りのバカ」と断定しています。さらにウェイバーの抱く欲望に対して「己の埒外」であるとも言っています。埒外とは「ある一定の範囲の外側」を指す言葉であり、ここでライダーが言っていることは、ウェイバーの持つ欲望はウェイバーの実力から言えば全くお話にならないレベルだとこき下ろしているように見えます。
しかし、その後にこう続きます。
彼方にこそ栄えありと言ってなぁ、余の生きた世界ではそれが人生の基本則だったのだ
このライダーの言葉から、ウェイバーに向けて放った「筋金入りのバカ」や「己の埒外」という言葉は否定的なモノではなく、むしろ肯定的に称賛していることがわかります。
「彼方にこそ栄えあり」とは、今の自分とは遠くかけ離れていることにこそ、輝かしい栄光や名誉があるということを言っています。ということは、自分の実力とはかけ離れた欲望を抱いているウェイバーのことを全面的に肯定していることになります。
そして「余の生きた世界ではそれが人生の基本則だったのだ」と続きます。これはライダーの生きていた2000年以上前では、今の実力では遠く及ばないゴールを持つことが、人生を輝かせるための基本原則だったということを言っています。
この原則はコーチングでいうところの、ゴールを設定する基本原則である「ゴールは現状の外側に設定する」ということと言ってることは一緒です。
いつの時代でも、人間を大きく変えたり成長させたりする源泉は、大きな夢を持ち、それが今の実力ではとうてい及びもしないことに絶望しながらも、その大きな夢に向かって困難な道を歩み続けることです。
己の無力さに対する絶望を繰り返すことによって、その先に大きな希望をつかむことが出来るのです!!
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。