あなたの人生の物語の主人公はあなた自身です

 

前回の記事はそう、狂気こそが救いの揺籃だ~他にも救いの方法はあるはずでした。

今回も小説『Fate/Zero』からの引用でスタートです。紆余曲折ののち、受肉したアーチャー(英雄王ギルガメッシュ)の心象風景です。

それが神々からの挑戦とあっては背を向けるわけにもいかない(Fate/Zero )

灼熱地獄の直中にあっても、王者として放つ威風は周囲の炎すら寄せ付けず、ギルガメッシュは彫像の如き裸身を堂々と晒したまま、さも厭わしげに鼻を鳴らした。

「——あのようなモノを願望機などと期待して奪い合っていたとはな。此度の茶番、つくづく最後まで度し難い顛末であったか」

だが、これはこれで悪くない——期せずして得た新たな肉体を検分し、その感触に英雄王は満足する。

「再びこの世界に君臨し、地上を治めよという天意か……フン、また随分と下らぬ試練を課されたものだ。まぁ良い。業腹だが受けて立つとしよう」

いかに煩雑に思えても、それが神々からの挑戦とあっては背を向けるわけにもいかない。英雄王である我が身の因果に、あらためてギルガメッシュは苦笑した。

虚淵玄『Fate/Zero 6 煉獄の炎』

 

アーチャーこと英雄王ギルガメッシュに学ぶ点は、圧倒的な主人公感です。

常に自分が自分の人生という物語の主人公であり、自分がいる場所が世界の中心であり、世界は自分のために存在しているという圧倒的な自己肯定感であり揺るぎない自信がその在り方から伝わってきます。

 

第4次聖杯戦争における最後の最後で予期せぬ展開が重なり波乱の結末を迎えました。さすがのギルガメッシュさえもさえ、聖杯から溢れた黒い泥に飲み込まれてしまいます。しかし、あらゆるものを読み込むはずの聖杯の黒い泥がギルガメッシュの圧倒的な自我を消化出来ずに吐き戻します。しかも英霊だった肉体が受肉化されるというおまけまでついて。

 

ギルガメッシュは、自らに起こった現象を確認し、その状態を即座に受け入れます。

 

だが、これはこれで悪くない——期せずして得た新たな肉体を検分し、その感触に英雄王は満足する。

 

そしてフォーカスしてほしいのが、受肉化した自分に対するギルガメッシュの解釈の仕方です。どういう視点で自分の置かれた状況を捉えているのかというところです。

 

「再びこの世界に君臨し、地上を治めよという天意か……フン、また随分と下らぬ試練を課されたものだ。まぁ良い。業腹だが受けて立つとしよう」

 

まず、再び肉体を得て戻ってきたことに対し「再びこの世界に君臨し、地上を治めよという天意か……」と反応しています。これは、天が我に世界を支配させるために地上に呼び戻したという解釈です。

さらにその自分の解釈した天意に対し「フン、また随分と下らぬ試練を課されたものだ。」と受け止めます。このような、自分の目の前にある困難や障害などを試練、と受け止める解釈はまさに主人公マインドそのものです。

 

自分が人生の主人公だというマインドを持っていると、目の前に訪れてくる障害や困難などは自分が成長するために必なこととして受け止めるようになります。それはあたかも自分が主人公の物語を盛り上げるための演出と当然なくてはならないものなのです。なぜなら主人公マインドを持っている人にとっては、ピンチの場面ほどそれはチャンスとなることを知ってるからです。

 

そして最後に「まぁ良い。業腹だが受けて立つとしよう」と決意をします。まぁギルガメッシュらしい言いようですが、これを私たち流に言えば「良し、大変だろうけども面白そうだから、いっちょやってやるか」という感じでしょうか。

 

いかに煩雑に思えても、それが神々からの挑戦とあっては背を向けるわけにもいかない。英雄王である我が身の因果に、あらためてギルガメッシュは苦笑した。

 

『いかに煩雑に思えても、それが神々からの挑戦とあっては背を向けるわけにもいかない。』のである。繰り返しになりますが、これらは全て自分が受肉したことへのギルガメッシュ自身の解釈です。だから、天意であるとか、神々からの挑戦というのはギルガメッシュ独自の解釈であり、実際に天から言葉が聴こえたのでも、神と対話したわけでもありません。

 

しかしながら、ギルガメッシュの中では会話をしているのです。どういうことかというと、ギルガメッシュは常に自分が理想とする王の在り方を貫いていますが、そんなギルガメッシュでさえたまにはどうすべきかとその在り方考える時があります。(たぶん)

 

そのような時、ギルガメッシュは自身に問うとともに、天や神にも問うているはずなのです。「天は何を望んでいるのか?」「神ならばどうするのか?」と。私たちがセルフコーチングで理想の自分や自分の中にいるメンターに問う時のように、ギルガメッシュは天や神に問うているのです。(たぶん)

 

ギルガメッシュのことであるから、天や神の意見は戯れに聞いているだけで、もちろん決定などは自分で下しますが、自分の考えをまとめるのに他者の意見はとても有効です。その他者がギルガメッシュには天や神ということです。それゆえギルガメッシュは天や神と会話しており、その臨場感が想定外の事態に対して無意識に発動したということなのです。

 

これは言ってみれば、自分の解釈で自分の人生の物語を作っているということにもなります。それをセルフコーチングのように無意識にやっており、またその相手が天や神というのはさすがギルガメッシュといったところです。

 

主人公マインドや自己肯定感を正しい方向に圧倒的に高めていくと、自信の在り方を問うレベル(抽象度)もどんどん上がってくるようになります。そしてギルガメッシュのように日ごろから天や神のレベル(抽象度)で思考していると、世間の常識や他人の意見に惑わされなくなります。自分で決めて自分でやるということが当然になってくるのです。

 

今回はギルガメッシュの話ですが、私たち自身もみんな自分の人生の主人公なのです。誰一人として例外はありません。自分が主人公の物語を自分で作ることが出来るのです。そしてその物語の解釈を決めるのは自分次第です。喜劇にするのか悲劇にするのか、愉しく生きたいのか、悩みを抱えたまま生きたいのか。

 

あなたがこうありたいと望む、あなたが主人公の物語を作ってください。

 

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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