前回の記事は『空間が無意識に与える影響②』でした。
汚れが無意識に与える影響
今回は汚れが無意識に与える影響です。
見た目の清潔さの良し悪しが、相手や自分の無意識に影響を与えているという話です。
そして今回も参考書籍としてタルマ・ローベル著『赤を身につけるとなぜもてるのか?』からの引用を活用して説明していきます。
浄めー心の汚れは除菌シートで落ちる
第9章 浄めー心の汚れは除菌シートで落ちる まとめ
(研究内容は省略)
【結論】
・心理的な汚れを感じると物理的に洗浄をおこないたくなる。また、特定の身体の部位による行動で心の汚れを感じたときは、その部位を綺麗にしたくなる
・そうした洗浄をおこなうと、実際に心も浄化され、罪悪感などが薄れる
・物理的な嫌悪感をいだいているときは、道徳的な嫌悪感もいだきやすくなる
・しかし、実際に浄化行為をおこなえば、物理的な嫌悪感の影響もすすぎ落せる
・過去の出来事の影響も、浄化行為によってコントロールすることができる
【応用編】
・私たちは清潔さと道徳性を結び付けて考えてしまう、ということを意識しよう
・過去の経験の影響を薄めて冷静な判断をするためには、浄化行為をおこなおう
タルマ・ローベル著『赤を身につけるとなぜもてるのか?』
今回の結論から言うと、物理的感覚である見た目の清潔さや汚さに対して、私たちの無意識では比喩的表現である心の道徳性と結び付けている傾向が実証されました。
見た目が清潔であれば無意識に心もきれいな性格だと感じるバイアス(偏見)がかかり、見た目に汚れている部分があれば無意識に心も汚れていると感じてしまうバイアスがかかるということです。
改めて言っておきますが、無意識のバイアス(偏見)なので、本人は無意識がそんな判断をしていることに気づいてはいません。無意識とはそういうものです。
さて、前回も書きましたが情報と物理は地続きにつながっています。無意識では比喩的表現と物理的感覚の区別がつきません。
だから物理的な汚れに対し、精神が汚れていると感じてしまいます。
例えば、営業マンのシャツに汚れがついていただけで、無意識にその営業マンに対しあまり信用できないのではないかと感じたりします。
その逆で、自分が非倫理的な精神的に汚い行いをすると、それに対応した身体の部分が汚れたようにも感じる傾向もあります。
実験では、メールで相手に非倫理的なメッセージを送った後は手が汚れたように感じお手拭きを欲しがります。それに対し電話で相手を罵った場合は口が汚れたように感じマウスウォッシュを欲しがったという結果が出ました。
面白いことに目には見えない汚れであっても、その該当しそうな部分をきれいにしたくなります。そして目には見えないものをきれいにしたように振る舞うことで、実際にすっきりします。
これはお浄(きよ)めやお祓(はら)いといった浄化と重なります。
人や土地などに対して、目には見えない何かを浄化してもらうという行為は、それを信じる信じないにかかわらず、一般的に知られていることです。
気功も目に見えない気というエネルギーを扱います。
で、気功に中にも浄化という技術があります。
気功で浄化をするのでもいくつかの方法があるのですが、その中で一番簡単な誰にでもすぐに出来る方法があります。
それは祓うという方法です。
やり方は、体についたほこりやゴミをはらうように、手、足、胴体、顔などをサッサとはらっていきます。文字通り体をお祓いします。
バカバカしいと思われる人もいると思いますが、ちゃんと身体を浄化するつもりでやればこれがなかなかバカにはできません。
繰り返しますが、無意識では物理感覚と比喩的情報を区別していません。
であるから、物理的に手で身体を祓うことで、無意識に体がきれいになったと感じ、実際にすっきりとした感覚になったりするのです。
話は戻りますが、実験によると私たちは汚れている時や心にやましいことがある時は、思考や行動に対し無意識にそれを消す方向にバイアス(偏見)がかかりますが、もともと汚れもやましさもない人はバイアスを感じずに普通に冷静な判断ができるようです。
であれば、いつもニュートラルな状態に自分をしておきたいものです。
何か自分が汚れたと感じることがあれば、自分でそれを祓って元の自分に戻すようにする。また相手に物理的な汚さを見た時も、無意識にバイアスがかかることを意識にあげてしまえばその無意識は無効にすることが出来ます。
そうすることで、なるべくニュートラルな自分でいることが出来ます。
なおかつ、相手のバイアスで無駄に評価を下げないためには、なるべく清潔さを保つことです。それは見た目の清潔さだけではなく、言葉、態度、しぐさも含めた清潔さということもとても大事になってくるのです。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。