前回の記事はそれが神々からの挑戦とあっては背を向けるわけにもいかない~主人公マインドでした。

今回も小説『Fate/Zero』からの引用でスタートです。聖杯のもたらした結末に歓喜して心が弾んでいる言峰綺礼の様子が描かれている場面です。

それは己と世界の有り様を受け入れ、それを是とする者だけが浮かべうる、悠然たる悟道の笑みだった(Fate/Zero)

腹が捩じれるまで笑いに笑ったその後も、残滓のような微笑の兆しは綺礼の顔に張り付いたまま残った。おそらくその表情は、今後の彼の面持ちの底に、常に居座ることだろう。それは己と世界の有り様を受け入れ、それを是とする者だけが浮かべうる、悠然たる悟道の笑みだった。ここに刷新された言峰綺礼の新たなる風貌を、ギルガメッシュは良しとした。

「どこまでも飽きさせぬ奴……それでいい。神すら問い殺す貴様の求道は、このギルガメッシュが見届けてやる」

虚淵玄『Fate/Zero 6 煉獄の炎』

 

人生を愉しく歩んで行きたい。悩みや不安を乗り越えて前に進んで行きたい。

多くの人はそう思っているはずです。では、そのように生きるためにはどうしたらいいのでしょうか?

 

答えはいろいろありますが、そう生きるための一番のベースとなるのが自己受容です。

 

自己受容とは、自分に価値があると思えること。そして自分を認め受け入れることです。

どんな自分であれ、そこに良い悪いのジャッジをせず、それが私なんですとそのままの自分を受け入れてあげることです。

 

この自己受容があなたの中の土台の部分にあるかどうかが、あなたの人生において大きな影響を与えてていくことになります。

 

建物を建てるときにその地盤が緩んでいたら、その上の建物がいかに立派に組み立てられようと、少し地盤のバランスが崩れるようなことがあっただけで全てが崩壊してしまいます。

人間の身体でも下丹田が全く出来ていない人であれば、地に足がついていないフワフワしたマインドになるので周りの状況に影響されまくるような生き方になってしまいがちです。

 

何事も土台が大事なのです。土台が貧弱だとその上に何を積み上げても安定しないのです。

 

自己受容が、そのままの自分を受け入れることと言うと、そのまんまの自分でいいのなら何もしなくていいの?と言う人がいます。ひと昔前の「ありのままの自分」の解釈問題です。

まぁその人が何もしないことを心から望むのであれば、何もしなくていいです。それはその人の自由で自分で決めることです。

ただし自己受容でいうとこの「そのままの自分を受け入れる」というのは、そんなことを言っているのではありません。

 

自己受容は、たとえどんな自分であれその自分を受け入れ、その自分に価値があると思えることです。

まぁそれを例えるとすれば、赤ちゃんを見る親の視点が近いと思います。

立とうとしてなかなか立てないからといって、こいつはダメなやつだなと思いますか?初めて描いた絵を見て、こんなへたくそな絵を描くんじゃねえよと思いますか。食事の皿を間違って床に落として食べ物をぶちまけた時に、お前はどうしようもないやつだなと思いますか?

そんなことは思わないはずです。(たぶん)

その赤ちゃんの出来なかったことや失敗したことの事実はそれはそれとして受け入れますが、それに対して良い悪いの評価はしないはずです。また何ひとつまともに出来ないにも関わらずその赤ちゃんに愛おしさを感じその価値を認めているはずです。

ここでの親の視点が自分の視点であり、赤ちゃんが実際の自分の行動と捉えてください。

そうすると「そのままの自分を受け入れる」ということの言わんとすることが見えてくると思います。

 

さらに言えば、親は評価はしませんが、もっと上手になってもらいこと、出来るようになってもらいたいことに対してはサポートしたり教えたりします。なかなか出来ない赤ちゃんに対しその価値や失敗をうんぬんするのではなく、赤ちゃんの成長については信頼して優しく見守り、どちらかといえば親自身のサポートの仕方や教え方の方にフォーカスするはずです。

 

自己受容とはそういうことです。親が自分の赤ちゃんにそうするように、自分の価値を無条件に認め受け入れてあげることです。

 

それは己と世界の有り様を受け入れ、それを是とする者だけが浮かべうる、悠然たる悟道の笑みだった。

 

自己受容をして、自分には価値があると思えて、自分の全てを受け入れることが出来るというのが、赤ちゃんを見守る親の状態であるとするならば、その親の表情は慈愛に満ち、出来なかったことや失敗したことに対してさえ優しい微笑みを向けているはずです。

 

ということは自己受容とは、親が赤ちゃんに向けるその優しい微笑みを自分自身に向けてあげるということです。

親子

今回の言峰綺礼は己と世界の有り様を受け入れます。自己受容だけでなく世界の有り様も受け入れます。

世界の有り様を受け入れるということは、自分だけでなく他人に対してもその価値を認め受け入れることと、世界の出来事に対してもその価値を認め受け入れることです。それが良い悪いに関係なく赤ちゃんを受け入れる親のように受け入れるということです。

 

その境地に至った者が浮かべている笑みを、悟道の笑みと言います。

全てを受け入れた者だけが到達する笑みです。(そうなのか!?)

 

悟道の笑みについてはさておき、私たちはまず自己受容して全てを受け入れた上で、直したいとこがあれば直すようにすればいいし、やりたいと思ったことをやればいいのです。そしてその結果が上手くいかないことがあっても、それを優しい微笑みで受け入れた上で、別な方法を試したり新たなことを学んだり挑戦すればいいのです。

 

ややもすると目に見える地位や結果で自分の価値が決まると思ってしまいがちですが(まぁそう思いたい人はそう思ってください)、自分の価値を決めるのは自分です。

 

他人の意見や価値観というのはほとんど意味がないもので、自分で自分を価値があると思えるかどうかがとても重要になります。

 

なぜなら、あなたの物語の主人公はあなた自身であり、あなたが自分はこういう人間だとセルフイメージしているとおりにあなたの物語は進行していくことになるからです。

 

あなたはあなたが思う通りの自分を演じ続ける役者のようなものです。であるのであれば、自分に価値がないと思って生きていればその通りになるし、自分の価値があると思って生きていてもその通りになるのです。

 

自分自身を自分の一番の味方にしてください。

 

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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