気合いや根性でやるのではなく、在り方を変える

 

前回の記事は頼れるものはアルコール以外に何があるのか~悪い習慣をやめる方法でした。

今回も小説『Fate/Zero』からの引用でスタートです。弱気になった自分を叱咤する間桐雁夜の心象風景になります。

屈辱的なまでの弱気に憑かれた自分を、雁夜は呪うように叱咤する(Fate/Zero)

決して自らに許すまいと誓っていた諦観の念が、罅割れから染み込む水のように、じわじわと心を侵食していく。

あと何回、戦えるのか。

あと何日、生きていられるか。

この手に聖杯を掴み、桜の救済を勝ち取ろうとするならば、それこそ最後の頼みは奇跡を期待するしかないのではないか。

ならば雁夜は祈るべきなのか。いま眼前に聳え立つ切妻屋根の頂から、地に這う彼(ムシ)を超然と見下ろす十字架に、膝を屈して希(こいねが)うべきなのか。

〝冗談じゃ……ない……ッ!“

屈辱的なまでの弱気に憑かれた自分を、雁夜は呪うように叱咤する。

虚淵玄『Fate/Zero 5 闇の胎動』

 

「諦めなければ夢は叶う」という人がいれば「諦めが肝心」という人もいます。

この相反する物言いはどちらが良い悪いとかはなく、どっちでもいいのです。諦めずにひとつのことを貫き通すのもいいし、別な道に新たな可能性を求めてもいいのです。まぁやりたいようにやればいいのです。

 

ただし、ひとつ大事なことはあります。それは「やりたいようにやる」ということです。あなた自身がやりたいと思ったことをあなたがやる、ということ。自分で決めて自分でやる、ということです。

 

自分で決めて自分で「やりたいようにやる」のであれば、それはその人にとって正解です。(もちろん反社会的な行動は除きます)自分に正直に生きていれば間違いはないのです。

 

自分に嘘をついてやりたくもないことをやりたいことだと思い込んだり、他人から言われたことに盲目的に従うような生き方をするから、ストレスがたまって心身に異常をきたすのです。

 

で、自分の意思で何かしらの行動を起こしている時に、ふと自分のやっていることに対し不安になるようなことがあります。それはなかなか思うような結果に結びつかなかったり、大きな壁にぶち当たった時などに感じます。「自分には無理なんじゃないだろうか」「もう、諦めた方がいいんじゃないだろうか」と。

 

そして、そんな時に普通なら「いや、君なら出来るからもう少し続けてみよう」と言いそうですが、続けようが諦めようがどっちでもいいのです。それが他人から言われて従ったのではなく、まぁ他人からの意見も参考にしていいですが、最終的には自分の心に嘘をつかずに正直に決めることが大事となります。

 

あなたが従うべきなのは、あなた自身の本音だということです。これが基本線です。

 

しかし、本音でやりたいことをやっていても弱気になることはあります。まだ続けたいのだけどもどうしていいかわからなくなることはあります。

 

決して自らに許すまいと誓っていた諦観の念が、罅割れから染み込む水のように、じわじわと心を侵食していく。

 

「それをどうしてもやりたい」「そのゴールをどうしても達成したい」と思っているのに、自分の未来に対して不安を感じてしまいます。そんな時、本心では続けたいのに常識的な自分が出来ない理由を次から次へと投げかけてきます。「もう無駄だから諦めろと」

「自信を持ってやればいい」「自分なら大丈夫」だと、自らを鼓舞したりコーチやメンター的な存在からアドバイスをもらって気持ちを持ち直す場合もあります。しかし、それはその場しのぎにしかならない場合も多いです。

 

なぜなら気持ちは簡単に揺らぐからです。一時的に気持ちを高ぶらせても、その揺らだ気持ちはいつもの自分の気持ちの場所に戻っていきます。自分の気持ちの場所とは、その人の在り方であり信念体系です。何かしら気持ちが揺れることがあっても、人は自分の在り方に戻っていくのです。

 

だから、多少弱気な気持ちになったり諦めそうな気持が芽生えてきても、それが自分の在り方とはかけ離れた考え方であったとしたら、すぐさま元の在り方に戻そうとします。

 

〝冗談じゃ……ない……ッ!“

屈辱的なまでの弱気に憑かれた自分を、雁夜は呪うように叱咤する。

 

これを気合いとか根性みたいに感じる人もいるかと思いますが、気合や根性は一時的に大きな力を必要とするものであり、いつでも使えるような代物ではありません。

 

ではなく、弱気や諦めの気持ちに対し「これっていつもの自分とは違う」「こんな自分は自分らしくない」といつもの自分の在り方に戻したのが引用文で間桐雁夜がしていることであり、これは気合いとか根性ではなく感情のコントロールです。自分が弱気になるなんて、なんて屈辱的なんだと思うほどに、雁夜にとって弱気でいる自分は居心地の悪いいつもと違う在り方なのです。

 

自分の普段の在り方でいる時に自信がなければ、いくら一時的に自信を付けても時間の経過とともに元の自信のない在り方に戻ります。

逆に、普段の在り方が自信を持ってやりたいことに突き進む人であるならば、一時的に弱気になっても自分がそれに気づくか時間の経過とともに、元の自信のある在り方に戻ります。

 

要は普段の在り方の問題です。だからいつもやる人はやるし、やらない人はやらないのです。

自分に自信をつける3つの方法

もし、自分が自信がなかったり行動することが出来ない人が、そういう自分の在り方を変えて、自信があり行動することが当たり前の在り方にしたいと思うのであれば、そのやり方はざっくりと言って3つあります。

 

一つ目は、「自分で決めて自分でやる」ということを続けていくことです。自分の意思で決めたことを実行するということを継続することで、やれば出来る自分の在り方が当たり前となり、それが自信につながります。

 

二つ目は、本気でどうしても叶えたいゴールを持つことです。何が何でもそれがやりたいんだ、というゴールが設定されていれば、そのゴールがあなた自身を引き上げてくれます。自信がないとか行動出来ないとかとは関係なく、自然とそれが出来る自分になってくるのです。

 

三つ目は、自分が理想とする在りたい自分を決めて、その自分を意識するようにして尚且つその自分を演じることです。普段の生活を演劇にしてしまいます。ひたすら理想の自分を演じ続けることで脳に演じている自分を本当の自分だと思わせていきます。自信がないなら自信があるフリをし続けることで自信を身に付けよ、ということです。

 

美徳を身につけていないのなら、せめてそのフリをしなさい。

ウィリアム・シェイクスピア『ハムレット』

 

とはいえ何事も意識し続けることは難しいので、最初は理想の自分を演じることを意識に上げるために身の回りにトリガーをいくつか用意しておきます。スマホの待ち受けにアファメーションとして書いておいたり、身に付けているものを見て思い出すようにしておきます。そうすればそれを見る度に理想の在り方を演じることが意識にあがり、アンカーとして理想の自分の在り方を演じていけばいいのです。

 

気合いや根性に頼るのもいいですが、それはいつも使えるものではなくだいたいは元に戻ってしまいます。また体調不良などで気合いや根性が発揮できないと、そんな自分を責めてしまったりしてネガティブな思考に取りつかれてしまうこともあります。なので、その場しのぎの気合いや根性に頼るのではなく自分自身の在り方を見つめなおすことで、やりたいことをやるのが当たり前な自分に書き換えていきましょう。

 

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

おすすめの記事