自分をつないでいる鎖から自由になろう

 

前回の記事は「己と世界の有り様を受け入れ、それを是とする~自己受容」でした。

今回も小説『Fate/Zero』からの引用でスタートです。目の前で死んでいった間桐雁夜を目にした時の、間桐桜の心象風景です。

おじいさまに逆らって、余計なことを考えたりしたらどうなるか(Fate/Zero) 

何も解らない桜だが、それでも彼がなぜ苦しみ、なぜ死んだのかだけは、はっきりと理解できる。

——おじいさまに、逆らったからだ。

そんなこと、マキリの家の人間なら誰だって知っているはずなのに。なぜかこの人だけは、大人のくせに、とても愚かで物分かりの悪い人だった。

何故だろう。なぜこの人は、こんな無意味な死に方をしたんだろう。

しばらく考え込んだ末——ああ、そうか。と、桜は理解する。

きっと、これは授業だ。

おじいさまに逆らって、余計なことを考えたりしたらどうなるか。その実例を桜に見せつけるために、このヒトはここで死んでいったのだ。

はい、よく解りました。おじいさま。

少女は従順に頷いて、蔵の蟲たちに群がられた男の遺体が、徐々に小さくなって消えていく様を、最後まで見届け、目に焼きつけた。

虚淵玄『Fate/Zero 6 煉獄の炎』

 

間桐雁夜は間桐桜を救うためにいろいろと無理してまでも聖杯戦争に参加しました。その結果として無残にも死んでいったのですが、当の桜にはこの言われようです。まぁ桜は何で雁夜が聖杯戦争に参加したのかを知らされていなかったのでしょうがないですが、それにしても人の好意はなかなか伝わらないものですね。

 

で、今回はそういう話ではなくて、無意識に刷り込まれていく洗脳と思い込みの話になります。

 

桜は遠坂家から間桐家に養子に出され、間桐家でほぼ拷問に近いような魔術修行を受けています。そういった環境にいるので、目上の人の言いなりで感情も表に出ない子に育っており、まだ6才という年齢ながら無意識に人生あきらめモードに入っている感じです。

 

その桜が目の前で死んだ雁夜を見て、なぜ彼が死に至ったについて断言しています。

 

——おじいさまに、逆らったからだ。

 

間桐家では桜がおじいさまと呼んでいる間桐臓硯は絶対の存在です。しかしながら雁夜はその臓硯に対し間桐家で唯一人反抗的な態度を取っていました。

 

そんなこと、マキリの家の人間なら誰だって知っているはずなのに。なぜかこの人だけは、大人のくせに、とても愚かで物分かりの悪い人だった。

 

逆らったらおじいさまの罰を受けるのが解っているのに、なんでこの人は大人のくせにそんなことも解らないのか。この人は何でこんな無意味な死に方をしているのだろうかと桜は考えます。

考えた末に桜の中である結論に達します。

 

きっと、これは授業だ。

おじいさまに逆らって、余計なことを考えたりしたらどうなるか。その実例を桜に見せつけるために、このヒトはここで死んでいったのだ。

 

この人の死は授業なのだと。おじいさまが桜に実例を持って教えてくれているのだと。おじいさまに逆らって余計なことを考えたらこうなりますよ、と。

この手のパターンの刷り込みは、私たち多くの人たちの中にも存在しているのではないでしょうか。

 

まぁ授業とまで認識することはなくても、目の前で見せられる現実や映像から、私たちは無意識にいろんなことを学んでいます。そこで学び認識したことが無意識に刷り込まれ、大人になってからもその無意識が人格の一部であるかのように発動していきます。

 

これが桜の場合であれば、「おじいさまの言うことは絶対」「余計なことは考えない」というのが無意識に設定されてしまうので、大人になっても何の疑問も持たずにこのマインドが設定されています。

 

それは「おじいさまの言うことは絶対」「余計なことは考えない」という状態がホメオスタシスとなるということです。だから、そのことを誰かに指摘されて気づいたり自分で疑問に感じることがあっても、よっぽど書き換えようする意識を持たない限り、また元のホメオスタシスに戻ってくるのです。

 

私たちが今までにしてきた(されてきた)認識、経験、環境、思い込み、刷り込みなどの集大成が今の人格、無意識、ホメオスタシスを形成しています。そのうちの多くは、まだ物事の判断が成熟していない子供時代の物です。そして多くの場合、それが大人になっても引きずったままとなります。

 

特に不安や恐怖といった自分をネガティブな方向に向かわせる可能性があるトリガーについては強固なマインドが設定されています。

 

おじいさまに逆らうというトリガーが、無意味な死というアンカーにつながることを臨場感高く思い込まされた桜には、逆らうことを考えることすらありえないことになります。

 

おじいさまに従順に従う桜を傍から見れば、他人に決められた人生を歩んでいると言えるでしょう。しかし桜本人からしてみたら、それに慣れてしまっているので、いたって普通のことです。だがしかし、どうみても桜はおじいさまに支配されています。

 

これと同じようなことが大人になってからも起こります。

どういうことかと言うと、桜にとってのおじいさまみたいな存在、それは人であったり、価値観であったり、お金であったり、世間の常識であったり、それらの存在にに子供の頃から従順になっているのが当たり前すぎて、その存在に支配されていることに、気づかずに支配されているということ。

 

平たく言えば、洗脳です。他人にとって都合のいい価値観を刷り込まれていて、しかもそのことに気がついていないということです。

 

子供の頃に刷り込まれた価値観は強烈に作用します。

よく知られた話に「鎖につながれた子供の象」の思い込みの話があります。子供の頃にサーカス小屋で杭に鎖につながれた象は、一生懸命逃げようとしたけどどうしても逃げられなませんでした。その象は大人になっても同じ杭に鎖につながれたままなのだが、実はその杭は大人の象の力をもってすれば簡単に引き抜けるのです。しかし子供の頃にいくら逃げようとしてもダメだった経験から、自分には杭を引き抜く力はないと思い込み、自分の今の力を過小評価して逃げることをあきらめてしまうという話です。

 

あなたにも気づいていない鎖につながれている可能性があります。

しかし、自分を成長させたい意識があれば今まで見えていなかった鎖に気づくことが出来るし、大人の力をもってすれば簡単に杭を引っこ抜くことが出来ます。

 

あなたには自分で自分の物語を作る力があるのです。あなたの中のおじいさまや鎖となっている存在から自由になり、何かに支配されるのではなく、自分の理想とする在り方に従う人生を歩んでいきましょう。

 

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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