行動につながる妄想ービジュアライゼーション

 

前回の記事は祈りを子に託すとき母親には恐れるものなど何もない~大切な人のためにでした。

今回も小説『Fate/Zero』からの引用でスタートです。久々にウェイバー・ベルベット(19才の青年)と、そのサーヴァントのライダー(征服王イスカンダル)との会話になります。

余の理想はただの妄想でしかなかった(Fate/Zero)

『——だが坊主、そいつは聖杯が本当にあった場合の話だよな?』

思いもよらない、ライダーの言葉に、ウェイバーは面食らってしばし言葉を失った。

「……え?」

『皆が血眼になっちゃあいるが、件の冬木の聖杯とやらが本当に噂通りのシロモノだってぇ証拠はどこにもない。違うか?』

今になってライダーが何を言い出すのか、ウェイバーには相手の真意がまるで見えなかったが、たしかにその問いは否定しきれるものではなく、とりあえずは頷くしかほかになかった。

「そりゃ、そうだが。でも……」

『余はな、以前にもそういう‟在るか無いか知れぬモノ”を追いかけて戦ったことがある』

述懐の言葉は、なぜか苦々しく冷ややかで、いつもの晴れやかな覇気とは程遠い。

『オケアノス(最果ての海)を見せてやると——そういう口上を吹き散らし、余は世界を荒らしに荒らして廻った。余の口車に乗って、疑いもせずについてきたお調子者を、随分と死なせてた。どいつもこいつも気持ちのいい馬鹿揃いだったよ。そういう奴から先に力尽きていった。最後まで、余の語ったオケアノスを夢に見ながら、な』

「……」

『最後には、余を疑うようになった小利口な連中のおかげで、東方遠征は御破算になった。だがそれで正解だった、あのまま続けていれば、余の軍勢は何処にも辿り着くこともなく総倒れで終わっただろう。

この時代の知識を得たときは、まぁ結構、応えたわい。まさか大地が丸く閉じてるなんて、悪い冗談にも程がある。だがそれでも、地図を見れば納得するしかなかった。オケアノスなんて何処にもありゃしなかった。余の理想はただの妄想でしかなかった」

「おい、ライダー……」

虚淵玄『Fate/Zero 5 闇の胎動』

 

聖杯戦争に勝利して聖杯を手にしたとして、「あらゆる願いが叶えられる奇跡」が与えられるというのは果たして本当なのだろうか?過去3回の聖杯戦争でも誰も勝利を成し遂げていないし、もしかしたら聖杯に「あらゆる願いが叶えられる奇跡」があるという話も実はそう思い込まされているだけなのではないのか?

 

『皆が血眼になっちゃあいるが、件の冬木の聖杯とやらが本当に噂通りのシロモノだってぇ証拠はどこにもない。違うか?』

 

この聖杯さえ手に入れることができたら幸せになれるみたいな話に似たようなことに飛びつく例は今の世の中にはたくさんあります。

 

「この講座に参加して認定を取得さえ出来れば、、、」

「結婚して、子供を産みさえすれば、、、」

「〇〇大学に合格することが出来れば、、、」

「宝くじにで一等に当選出来れば、、、」

 

そうすれば、幸せになれるはずであると。

それは果たして本当なのでしょうか?

 

それさえ手に入れれば、その先の未来はバラ色の人生が待っているような気がして、盲目的にその目的に向かって突き進む人がいます。それはそれで、何かに集中し没頭するということは自分を成長させる一番いい方法でもあるので、その手法で実力を付けていくのはありだと思います。

 

しかし、そのゴールである到達点に着きさえすれば、あとはバラ色の人生が広がっているという思い込みは、あまりにも浅はかです。

人は自分がまだ手にしていないことに対し過大評価する傾向があります。しかし、それを手に入れることだけにフォーカスしていると、仮にそれを手にすることが出来た時は確かに幸せな気持ちになるかもしれませんが、でもしばらくするとそれを手に入れるだけではほとんど何の意味もないことに気がつきます。

 

自分が手にしていないことに対する過大評価や妄想から目を覚まさせるには、現実の世界を把握することです。実際にそれを手に入れた人が実際にどうなっているのかを知ることです。

 

この時代の知識を得たときは、まぁ結構、応えたわい。まさか大地が丸く閉じてるなんて、悪い冗談にも程がある。だがそれでも、地図を見れば納得するしかなかった。オケアノスなんて何処にもありゃしなかった。余の理想はただの妄想でしかなかった

 

現実の世界を見れば、それを手に入れたところで確実に幸せになれるわけではないということはわかります。またはその理想がただの絵空事だったということもありえるのです。

 

大事なことは、それを手に入れることではなく「それを手に入れて何をしたいか」です。もっと言えば「何がしたいのか」が大事なことであり、そのしたいことに何かが必要なのであれば、それを手にすればいいということです。

 

ようは、「それを手に入れたら幸せになれる」からと何かにすがるような妄想を追いかけるよりも、今の自分がやりたいことや未来の自分にやらせたいことの方にフォーカスしてほしいということです。

行動につながるのであれば妄想でもいい

ただし、人によっては「それを手に入れたら幸せになれる」という妄想が、その人を気持ちよくさせ、やる気にさせ、幸せを感じさせることもあります。そういう場合は、その妄想に乗っかっていって構いません。というか、それほど臨場感の高いビジュアライゼーションが出来るのであれば、それを存分に活用しゴールに向けた行動に生かしてください。

 

臨場感高く幻の世界を創り出すことが出来るなら、そしてそれを本気で追い求める行動が出来るのなら、そのビジュアライゼーションだけでも夢をつかむことが出来るのです。

 

行動につながるのであればそのゴールが妄想であろうがくだらない動機であろうが何でもいいのです。自分で決めてそれを実行し出来ていれば何でもいいのです。

 

それが「お金を払って講座に出席して認定を取れば何とかなる」とか「結婚さえできれば幸せになる」とか「宝くじに当選して大金が手に入ればやりたい放題だ」とか、『自分の幸せを別な何かが運んできてくれる』かのような妄想を想い浮かべて悶々としてるだけでいるだけでは、たとえ運よくそれが手に入ったところで先が続かないのです。

 

運の良さも大事ですが、それを生かす行動がどうしても必要です。

 

『余はな、以前にもそういう‟在るか無いか知れぬモノ”を追いかけて戦ったことがある』

 

その妄想がどうあれ、それを追いかけ行動することが出来れば、たとえ欲しいものが手に入らなかったとしても、あなたにとって財産となりうる別な何かが手に入るはずなのです。

 

Fate/Zero Blu-ray Disc Box Standard Edition

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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