信仰心には不思議な力がある

 

前回の記事は「先入観が今日までの切嗣の目を眩ませてきた~思い込みと先入観でした。

今回も小説『Fate/Zero』からの引用でスタートです。衛宮切嗣との対決が目前に迫ったことを予感した時の言峰綺礼の心象風景になります。

たとえ死の谷の陰を歩むとも、禍を恐るるまじ。主が我と共にあるが故に(Fate/Zero)

歩を進めるごとに募りゆく昂揚。祝福の聖句が、口を衝いて出る。

——主は我が魂を蘇らせ、御名のために我を正道に導かん。たとえ死の谷の陰を歩むとも、禍を恐るるまじ。主が我と共にあるが故に——

居る。今こそ出会いを確信する。

衛宮切嗣はすぐ近くまで来ている。綺礼が彼を求めるように、彼もまた綺礼を求めて。

虚淵玄『Fate/Zero 6 煉獄の炎』

 

——主は我が魂を蘇らせ、御名のために我を正道に導かん。たとえ死の谷の陰を歩むとも、禍を恐るるまじ。主が我と共にあるが故に——(旧約聖書:詩篇23編)

言峰綺礼が唱えたこの聖句は旧約聖書の詩篇23編からの引用です。この引用は、私たち人間を羊、羊飼いを神に例えた話で語られている箇所の文であり、内容を簡単に説明すると『羊(人間)は自分だけでは道に迷ったり食べ物を探せなかったり倒れて起き上がれなかったり他の動物に簡単に襲われるような弱い動物ですが、良い羊飼い(神)がいつもそばにいて見守ってくれているのであれば、たとえ厳しいことに状況に見舞われるようなことがあっても正しい方向へと支え導いてくれるので、何も恐れることはない』というような内容です。

 

ようは、あなたがいつも神と共にあろうとすれば、神はあなたを見守って正しい道へと導いてくれるから、どんな状況に陥ろうとも何も恐れることはない、ということです。

 

神父である言峰綺礼は、衛宮切嗣との戦いが目前に迫ってきたことを確信して気持ちが昂揚し、この聖句が口を衝いて出てきます。考えずとも聖書の一節が無意識に出てくるあたりはさすが神父です。綺礼がたとえ外道神父に陥ろうとも未だ信仰心は残っています。

 

この信仰心というのは、私たちの心にパワーをもたらす不思議な力があります。

例えば宗教では、その宗教の神や教えを心から信じることで、自分の行動に自信が持てたり、神に見守ってもらえてるような感覚になったりします。また神の教えに従っていれば間違いはないという確信が持てたりするるので、考え方にブレがなくなります。

さらに、たとえネガティブな事が起きても、それに対し神が自分に課した試練や生きるための課題と受け取るので、何が起きても物事をポジティブに捉えられるようにもなりますなります。

 

だから信じる教えが自然の摂理に沿った正しいものであれば、それに対する信仰心は生きていく上での指針となり人生を前向きに歩んでいくための強力な武器になります。

 

自分自身を信じて生きていくことはとても素晴らしいことです。しかし、多くの人が経験しているようにそれはとても難しいことです。特に、失敗したり、自信をなくしたり、落ち込んだりしている時は、どうしても弱気になって自信を失いがちになります。

 

そんな時に頼りになるのは、自分が心から信じている神(人)であり教えです。神や教えに守られている感覚や、今ある状態に対する教訓的な教えが、自信を失いそうな状態から立ち直らせてくれます。信仰心が私たちの心にパワーをもたらすと言ったのは、こういう理由からです。

 

だから皆さん何らかの宗教に入りましょうというわけではありません。もちろん入っても全然構いませんが、今回言いたいことは、自分に何か信じる対象があると人は強くなれるということです。

 

それは宗教に限ったことではなく神でも人でも過去の偉人でもモノでも教えでも、何でも構いません。いざという時に自分を支えてくれたり力を与えてくれるような、そんな対象があると、自分ひとりの力で人生を歩いている時よりも格段に前に進みやすくなります。

なんだかんだ言っても、誰しも精神の浮き沈みはあります。体調がいいときがあればあまり良くない時があるように、その時の状況によって精神的に強いときもあれば弱いときもあるのです。我を忘れてまともな判断が出来ない時もあるのです。

 

そんな時に自分が信じる対象を思い出し「自分には神様がついているから大丈夫」「このペンダントがいつも私を守ってくれている」「愛する娘のことを想えば力が湧いてくる」「こんな時、英雄王イスカンダルなら、こう言って自分を奮い立たせてくれるだろう」などのように、自分以外のあなたが信じる対象の力を借りるのです。

 

信仰心に科学的根拠など必要ありません、あなたの支えとなってくれているのであればそれだけで十分です。どんな状況にあっても一緒にいて、あなたが信じているだけでいいのです。

 

歩を進めるごとに募りゆく昂揚。祝福の聖句が、口を衝いて出る。

 

神が我と共にあるのなら、たとえこれから過酷な戦いが待ち受けている状況でも、気分が昂揚してくるのです。(まぁ綺礼の場合はそれだけが要因ではないですが、、、)

 

自分に自信満々でいつでも安定している人はそのまま自分を信じて突き進んで行ってくれればいいですが、精神的に浮き沈みがあったり不安をかかえる時が多いようなら、自分が信じることが出来る『神』を見つけ共に歩んで行くことはとてもおすすめです。

 

もし信じることが何もなかったら、あなたが信じることが出来る何かを見つけてみるのも、意外と愉しいかもしれません。

 

旧約聖書 新改訳2017 (新改訳聖書センター)

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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