心が躍ることにチャレンジし続けよう
前回の記事は「一歩、さらにもう一歩先。ただひたすらにそれを繰り返す」でした。
今回も小説『Fate/Zero』からの引用でスタートです。アーチャー(英雄王ギルガメッシュ)とライダー(征服王イスカンダル)との勝負が決した後の場面になります。
また幾度なりとも挑むが良いぞー世界は決して、そなたを飽きさせることはない(Fate/Zero)
「此度の遠征も、また……存分に、心躍ったのぅ……」
血霧に霞む眦(まなじり)を細めながら、イスカンダルは満ち足りた声で呟く。その満悦の相を見届けて、ギルガメッシュは厳かに頷いた。
「また幾度なりとも挑むが良いぞ。征服王」
全身をくまなく宝具の雨で串刺しにされながら、ついに天の鎖に阻まれるまで歩みを止めなかった好敵手に、英雄王は最大の褒美——偽らざる賞賛の念を賜わした。
「時空の果てまで、この世界は余さず我の庭だ。故に我が保証する。世界は決して、そなたを飽きさせることはない」
「ホォ……そりゃあ、いい、な……」
最後に、そんな呑気な相槌を打ってから、ライダーのサーヴァントは静かに消滅していった。
虚淵玄『Fate/Zero 6 煉獄の炎』
ライダーは真のゴールを見出し(前回、前々回の記事参照)、そのゴールを目前に捉えながらも、惜しくも達成すること叶わずこの世を去ります。しかしながら、その間際に言葉にしたのは達成出来なかったゴールに対することではなく、今回の遠征(聖杯戦争のために英霊として蘇ったこと)を総括した感想でした。
「此度の遠征も、また……存分に、心躍ったのぅ……」
自分が消滅間際にもかかわらず、ライダーは満悦の相と満ち足りた声でこのセリフをつぶやきました。『存分に心が躍った』という満足感です。追い求めてきた夢が叶わなかったのにこの世界で過ごしたことに存分に満足しているのです。
このライダーのつぶやきに、人生をより良くするためのヒントが隠されています。
どういうことかというと、ゴールが達成されたされないはさておき、存分に心を躍らせることが出来たのであれば、それは満ち足りた人生となるということです。
私たちはややもすると結果という果実の実をだけに価値があると思ってしまうことがありますが、それよりも『ゴールという果実の実を掴み取りに行くのにどれだけ心が躍るのか』の方が人生をより愉しむためにはフォーカスすべきことです。
ゴール達成が出来たかどうかはさほど重要ではないのです。それよりも心が躍るようなチャレンジをしているかどうかの方に価値を見出して欲しいのです。そのゴールに向かうことに喜びを見出して欲しいのです。
「また幾度なりとも挑むが良いぞ。征服王」
圧倒的な力の差を見せつけてもなお、あきらめずに向かってきたライダーに対するアーチャーのこのセリフは、人生にチャレンジしている全ての人の耳に届かせたい言葉です。
ここでは『また幾度なりとも』と言っているのがポイントです。ようは何度失敗しようがそんなことは気にせずに、チャレンジし続ければよいということです。
小利口に自分がそれを出来るかどうか計算したり、失敗したこと対し自己評価を下げたり周りの目を気にしたりするのではなく、何度でもチャレンジすればいいのです。
ただし、、、そこに先ほどのライダーのセリフにあった『そのゴールやゴールに向かうことに心が躍るならば』ということも必要です。
ようは、自分の能力とか失敗しそうだとかは関係なく、自分の心が躍ることをようなゴールに向かって何度でもチャレンジし続けることが、あなたの人生を満ち足りたものにし、おまけにそれが結果的に自分を成長させる方法にもなるのです。
「時空の果てまで、この世界は余さず我の庭だ。故に我が保証する。世界は決して、そなたを飽きさせることはない」
もしかしたら、心が躍るようなことがなかなか見つからないと思われている人もいるかもしれません。しかし、全世界を我が家の庭だと豪語する英雄王ギルガメッシュ様が保証しています。『世界は決して、そなたを飽きさせることはない』と。
もし、心が躍ることがないとするならば、それはないのではなく見えていないだけ、もしくは知らないだけです。またはわざと見ないように目をそらしている可能性もあります。もともと本人に心躍らす気がなければスコトーマ(心理的盲点)に隠れてしまうので見えるわけはありません。
英雄王ギルガメッシュ様が言う『世界は決して、そなたを飽きさせることはない』のそなたはライダーのことを指していますが、このそなたを私たちということで当てはめてみれば、その私たちは、心躍らすことを追い求めてチャレンジしている人のことを指すことになります。
心躍らすことを追い求めてチャレンジしようとする気持ちがあれば、私たちがゴールとする材料、心躍らせるネタ、自分を成長させるアトラクションは、世界中にたくさん転がっているのです。
私たちもライダーのように、死の間際に「此度の遠征も、また……存分に、心躍ったのぅ……」という人生で在りたいものです。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。