継続は力なりー動き続けること
前回の記事は「君はそのがんじがらめに縛られた世界の中で何を望む?」でした。
今回の記事は『テガミバチ』の第12巻からの引用です。
流れる麦酒は泡を立てないーあわてるな満ちればたどり着く(テガミバチ)
ザジ「見えたぜ!!ビフレストだ!!スクランブルダッシュで渡ろう!!ジギーさん!!」
ジギー・ペッパー「流れる麦酒(ビール)は泡を立てない あわてるな 満ちればたどり着く」
「…… (意味わかんねーけど カッケーから言い返せねえ…)」
浅田弘幸著『テガミバチ』第12巻
自分の人生を自分で切り開いていきたい人にとって、流れを意識することはとても重要です。
流れは物質のように目に見えるモノではないので、感覚で感じるとります。少し難しい言い方をすれば、今どんな流れになっているのかを情報空間に観るということです。
流れを意識する時や自分を観察する時は、一歩引いた視点から観ることが必要です。まるで他人を観察するようにです。これが抽象度をひとつ上に上げて観ることにつながります。
私たちは自分のこととなると、自我が働き観たいようにしか観ないので、肝心なところがスコトーマに隠れて観えなくなっています。なので、他人を観るようなもう一人の自分の視点で観ると、今まで見えていなかったことが観えて新しい気づきも発見されます。
で、流れの話です。人生で流れというと、運気についてと動きについてと大きく2つの視点がありますが、今回は動きについて書いていきます。
生きている人間は、まぁみんな何かしらの動きがあるわけですが、ここでいう動きとは、自分で決めて自分の意思で動くことと意味すると思ってください。逆に動きがないということは、無意識の習慣に従い自分から意識して何かをやろうとしない状態だと思ってください。
自分で決めて自分の意思で動くということは、何かを成し遂げようと新しいことを試みるということです。これは無意識の習慣とは別なことを選択することです。
無意識の習慣は流れるプールのように、何もしようとしなくても前にすすめてくれます。しかし自分から動こうとして無意識の流れと別な方向に進もうとすると、無意識の習慣が流れてきて負荷をかけてきます。ここで動くことをやめてしまうと、あっという間に習慣の流れに飲み込まれてしまいます。
この無意識の習慣の流れに飲み込まれてしまわない方法は単純にして明快です。
流れる麦酒(ビール)は泡を立てない
それは動き続けることです。動き続けて、新しい自分の流れを作ることです。
この動きがないと、まるでビールの泡のようにあなたの進む方向にモヤがかかり、あっという間に無意識の世界に引きずり戻されます。新しい挑戦を、始めてはやめて始めてはやめてを繰り返す人がいますが、それは動きをとめてしまうばっかりに、簡単に今までの習慣へと戻されてしまっているのです。
まぁ続けられないのは、その程度の情熱しかなかったんだと言われればそれまでですが、無意識の習慣の抵抗という働きを、過小評価している部分もあると思います。
あわてるな 満ちればたどり着く
やり始めはどんなに無意識の抵抗にあったとしても、ひたすら意識して継続して動いていれば、やがてその動きが新しい流れとなります。そしてそれは、意識して継続してきたその動きが無意識の習慣として身についたということです。
新しい動きが習慣としての流れを形成するまでには時間も必要です。2~3日で身に付くような簡単なことではありません。しかし、時間は必要ですが、継続して動いていれば自分の決めた新しい流れは必ず完成します。継続は力なりです。
というより、新しい流れを作るには、新しい流れが完成するまで動き続けるしかないのです。
他人の決めたルールではなく、自分の決めたルールで動き続けることなのです。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。