前回の記事は今は体を鍛える、いちばん始めやすいことだからでした。

 

今回も引き続き、ハードボイルド小説『初秋』(ロバート・B・パーカー著)からの引用でスタートです。

誰かから聞いた単純なルールに従う(初秋)

「彼らはどうしてあんなことを言うんだろう?」

「おまえの両親か?」

「そう」

「なぜなら、その程度の頭しかないからだ。自分たちがなんであるのか、あるいはそれを見出す方法を知らない、立派な人間とはどんな人間であるのか知らないし、それを知る方法を知らないからだ。だから彼らは類型に頼る」

「どういう意味?」

「つまり、きみのお父さんは、たぶん、自分が立派な男であるのかどうか確信がもてないし、そうではないかもしれない、という疑念を抱いているのだろう。そうでないとしたら、彼はそのことを人に知られたくない。しかし、彼は、どうすれば立派な人間になれるのか、知らない、だから、誰かから聞いた単純なルールに従う。自分で考えるより容易だし、安全だ。さもないと、自分で判断しなければならない。自分の行動についてなんらかの結論を下さなければならないし、その場合、自分が考えたことが守れないのに気づくかもしれない。だから、安全な道を選んだらいいじゃないか、と考える。世に受け入れられる回路に自分のプラグを差し込むだけですむ」

「よくわからないな」

『初秋』ロバート・B・パーカー著

 

※今回は、いつもとは逆な立ち位置から書いていきます。

 

自分が頭が悪かったり変な人だと自覚している人が、そのことをばれずにやり過ごす方法は、自分の本当の考えを話さないことです(そうなのか?)。まぁ感想程度のことなら話してもばれないかもしれませんが、考え方の本質的な部分は自分で組み立てた論理では話さない方がいいでしょう。

 

彼は、どうすれば立派な人間になれるのか、知らない、だから、誰かから聞いた単純なルールに従う

 

では、自分の考えを話さないで何を話すかと言えば、他人の考えです。例えば自分の尊敬する人や気に入っている人の考え方をさも自分のオリジナルの考えかのように話すのです。または、世間で常識とされていることをそれが自分の考えであり絶対的な真理のように話すことです。そうすれば、他人から変な人だと思われずにすむでしょう。

 

世に受け入れられる回路に自分のプラグを差し込むだけですむ

 

そして、その行動を2~3年も続けていれば自分の意見を話すのではなく、他人の意見を話すことが当たり前の習慣となるので、自分の頭で考えることをしない人でも、何となくそれらしいようないっぱしのことを話す人になっています。

 

これを習慣にしてしまうことの凄いところは、他人のコピーだったものが無意識に出来るようになることで、他人の意見を自分のオリジナルの意見であると認識するようになるとこです。また世間の常識や流行に合わせることが正しいことであると無意識に思い込むようになっています。本人はよもや他人の考えで動いているとは思いもしません。

ということは自分でも気づかぬうちに、他人から変な人だと思われるような行動が出来なくなっています。そうなると自分のオリジナルの考えなんて思いもつかないし、周りから反対意見を言われそうな新しいことを始めようなどとも思いもしません。

 

自分で考えるより容易だし、安全だ。さもないと、自分で判断しなければならない

 

自分で考えず、自分で判断せず、自分から進んで行動しないというのは、ある意味ではとても安全です。まぁそれでも人生いろいろあるので不運にも危険なことに遭遇もする可能性はあります。それでも今の時代ならインターネットで検索すれば解決方法は見つかります。もしくはお金でたいていのことは解決できるでしょう。

 

必要なことは、自分の考えの一切を排除することです。自分の意見なんていりません。自分が参考にしたい人や世間の常識とされることに乗っかって、それが無意識にまで定着するほどに自分の意見として発信し続けるのです。そうすれば歩く常識人としてのあなたが出来上がります。

 

そうなれば、もう何も恐れることはありません。無意識に世の中やコミュニティのルールに沿うような行動や考え方が出来るようになれば何も迷うことはありません。安心安全な一生を終えることが出来るでしょう。

 

チャレンジや成長や自分の人生を生きる、などという言葉は、あなたが安心安全な人生を歩んでいくには全く必要はないのです。

 

※繰り返しますが、今回はいつもとは逆な立ち位置から書いていきます。

 

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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