自覚がなくとも—そういう心の動きは、興味、関心として表に現れる

前回の記事は焦りに囚われる自分自身の有様が~自分を観察しリセットするでした。

今回も前回に引き続き、小説『Fate/Zero』からの引用でスタートです。今回の引用はアーチャー(英雄王・ギルガメッシュ)と言峰綺礼との会話よりアーチャーの言葉の引用です。

アーチャーは遠坂時臣のサーヴァントであり、言峰綺礼にはアサシン(ハサン・サッバーハ)というサーヴァントがおり、基本的には聖杯戦争を争う敵のはずなのですが、なぜか仲のいい?2人です。なぜそんな関係なのか知りたい人は、生きるための教科書と言っても過言ではない小説『Fate/Zero』を是非ご覧ください。

Fate/Zero 全6巻完結セット (星海社文庫)

自覚がなくとも—そういう心の動きは、興味、関心として表に現れる(Fate/Zero)

「——自覚がなくとも、魂というものは本能的に愉悦を追い求める。喩えれば血の匂いを辿る獣のように、な。そういう心の動きは、興味、関心として表に現れる。

故に、綺礼。お前が見聞きし、理解した事柄を、お前の口から語らせたことには、既に十分な意味があるのだ。もっとも多くの言葉を尽くして語った部分が、つまりはお前の『興味』を惹きつけた出来事に他ならぬ。

とりわけ『愉悦』の源泉を探るとなれば、ヒトについて語らせるのが一番だ。人間という玩具、人生という物語……これに勝る娯楽はないからな」

(略)

まずお前が意図的に言葉を伏せた人物については除外しよう。自覚のある関心はただの執着でしかない。お前の場合は、もっと無自覚な興味にこそ注目するべきだ。

さてそうなると、残る4人のマスターのうち、お前が最も熱を込めて語った一人は誰だったか……?」

虚淵玄『Fate/Zero 4 散りゆく者たち』

 

アーチャー(英雄王・ギルガメッシュ)と言峰綺礼の会話を読んでいると、毎回コーチングそのものという感じがします。もちろんコーチ側は完全無欠の王様マインドを持つアーチャーです。そしてアーチャーのコーチングを受ける度に綺礼のマインドがゆらがされ、自分でも気づいていなかった本音の部分が少しずつ表に現れてきています。(そして物語の後半では、アーチャーによるコーチングの成果で愉悦を求めるようになり大きく変貌していきます)

 

アーチャーの言うところの愉悦は、コーチングでいうとこのゴールや理想とするべきやりたいことを表しているといっていいでしょう。

 

以前、理想も悲願もないと言う綺礼に対し、アーチャーは愉悦を望めばいいとアドバイスしました。

「理想もなく、悲願もない。ならば愉悦を望めばいいだけではないか」(2019/3/26)

「まずは娯楽というものを知るべきだ~あなたの楽しいことは何ですか」(2019/3/27)

 

「ああ。内側にばかり目を向けていても仕方ない。まずは外に目を向けろ。……そうだな、手始めに我(オレ)の娯楽に付き合うところから始めてはどうだ?」

虚淵玄『Fate/Zero 2 英霊参集』

 

そして愉悦という言葉に拒否反応を示しながらも、アーチャーの娯楽に付き合うことに了承し、残り5人のマスターが聖杯戦争に参加した動機について調べ上げました。(綺礼のサーヴァントのアサシンは気配を消して忍び込むのが得意で、もともと他の陣営の意図や戦略を探って遠坂時臣に報告するのが役目です)娯楽に付き合うという名目ですが、これはそのままコーチングのワークとも言えます。

 

ゴール設定する時や自分の本音を探る時などに「自分が何に興味があるのか」「何が得意なのか」「何をしている時が楽しいのか」「やってみたいことは何なのか」「他人に褒められたことは何か」「人に言われてうれしかったことは何か」等を全部書き出してみるというワークをする時があります。これは自分を見つめなおすのに有効なワークです。しかし、基本的にはセルフコーチングのワークなので、自分の意識に上がったことしか書き出せません。

 

理想も悲願もないという言峰綺礼は、自分のやりたいことや理想を意識に上げることが出来ません。何をすべきか悩んでいる綺礼に対し、アーチャーは綺礼本人が気づいていない興味、関心のありかを探ろうとします。なぜなら、本人が意識していなくても、その言動から興味や関心が無意識に表れるからです。

 

自覚がなくとも、魂というものは本能的に愉悦を追い求める。喩えれば血の匂いを辿る獣のように、な。そういう心の動きは、興味、関心として表に現れる

 

綺礼の興味のありかを知るために課したワークが、残り5人のマスターが聖杯戦争に参加した動機について調べ上げアーチャーに報告することです。(たぶん)

 

お前が見聞きし、理解した事柄を、お前の口から語らせたことには、既に十分な意味があるのだ。もっとも多くの言葉を尽くして語った部分が、つまりはお前の『興味』を惹きつけた出来事に他ならぬ

 

人は見たいものしか見ないし知りたいことしか知ろうとしません。なので情報として入ってくるものは必然的に、あなたが関心を持つことであり興味を持ったことになります。さらに関心の度合いが高いとそのことについてさらに深く知ろうとします。

 

ここでポイントとなるのは、あなたが関心を持ったり興味を持ったりすることは、他の人から見たら変わっていることかもしれないが、本人にとってはそれが当たり前となって、ほとんど無意識にしていることもあるということです。そしてアーチャーはその無意識に起こっている関心に注目します。

 

とりわけ『愉悦』の源泉を探るとなれば、ヒトについて語らせるのが一番だ。人間という玩具、人生という物語……これに勝る娯楽はないからな

 

多くの人にとって一番興味のある対象は人になります。とくに何かに秀でていたり、魅力的な異性(同性)であったり、あこがれの対象となる人に興味や関心を持ちます。

 

今回アーチャーが綺礼に探らせたのは、海千山千の一癖も二癖もある魔術師であり、彼らが聖杯戦争に参加した動機です。こういった経験豊富でかつ目的意識をもった人物であれば、深堀りしようとすればいくらでも深堀り出来るくらいに濃い人生を歩んでいます。

 

そういった中で、あえて特定の人物の特定の事柄について他のことよりも深く調べていることがあったならば、それが『愉悦』の源泉である可能性があり、夢、理想、興味、やりたいことなどのヒントがそこに埋まっているということです。

 

アーチャーと言峰綺礼の会話はまだ続きます。

 

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

おすすめの記事