前回の記事は「それは出来ないわけではなく、やらないことを選んだのだ(十二大戦)」でした。
今回は、北方謙三氏の小説『牙』から会話部分のみの抜粋です。
今回の記事は、コーチングの枠をはみ出た内容かもしれないので、受け入れられない人は華麗にスルーしてください。いつも言うことですが、与えられた情報や価値観についてそれを鵜呑みにするのではなく、自分の頭で考える癖をつけることはとても大切です。たとえ、あなたが尊敬する師匠や先生であっても、神様ではないので100%正しいという事はありえません。
もちろん僕自身も、皆さんの人生に役に立つ記事を書いているつもりですが、人それぞれ生まれも育ちも考え方も価値観も違いますので、万人に同じように受け入れられるはずがないのは百も承知です。
自分で考えることをしない人は、安易に周りの意見を受け入れて流されて生きています。思考停止状態です。大事なのは、たくさんある情報の中から本当に自分に必要な情報を嗅ぎ出すための知識を養うことであり、自分の頭で考えて行動することです。
あなたの人生における正解というのは、マークシート問題のように目の前にある物から選ぶのではなく、自らが創造するものなのだということを心にとめておいてほしいと思います。
ということで、そろそろ本題に入ります。
牙をなくしちゃなんねえ。いざという時にゃ、牙を向けるのが、男ってもんだ(牙)
「男はな、一幸」
「喋るなよ、じっちゃん」
「牙をなくしちゃなんねぇ。いざという時にゃ、牙を向けるのが、男ってもんだ」
「わかったよ」
「わかってねえさ。意気地のねえ野郎だからな」
「じっちゃんはすげえ。あいつらを追い返したんだろう」
「ここは俺の土地だ。誰も、入れねえ。土地だけじゃねえ。心にも土足で踏み込ましちゃなんねえぞ」
「もう喋んねえでくれ、じっちゃん」
「あいつらが、なんか訊いてきた」
「喋んなきゃ、痛い目を見る。脅してやがるんだ。脅されて黙ってられるか」
「じいちゃん、もう歳なんだからよ」
「おめえも、ぶちのめされてえか。あいつら三人でも俺を持て余してた」
「一幸、牙だ。おまえは牙を持たなくちゃ駄目だ。牛みてえじゃ、馬鹿にされるだけだぞ」
北方謙三『牙』
私たちが生きていく中で、いざという時があります。(ない人もいるかもしれませんが)
それは、ここぞという場面であり、何らかの決断を迫られた場面です。または引用した場面のように、たとえ窮地に追い込まれていても絶対に引けないような場面のことです。
このような場面はそうそうあるものではありませんが、ほんんどの人の人生の中で必ず起こりうることでもあります。
このような、いざという時に目の前に大きな壁として立ちふさがるのが、不安や恐怖です。簡単に言えば、いざという時というのは、あなたが不安や恐怖に襲われている時のことです。
なぜ不安や恐怖に襲われてしまうかといえば、その時の判断によってあなたの人生が大きく変わってしまうかもしれないと思い込んでいるからです。それは地位であったり、お金であったり、既得権益であったり、自分が手にしているモノや安心や安定を失うかもしれないという感情です。
いざという時というのは、それぞれにいろいろなことがありますので、その明確な対処法というのがあるわけではありません。いざという時に、突き進んでいくのがいいときもあれば、いったん引いたり、あきらめてしまう方がいい場合もあります。
ただし、ここでひとつだけ言うとすれば、いざという時にどのような判断をするにしても、なるべく自分自身の生きざまを曲げてほしくはないということ。自分の信念に嘘をついてほしくはないということです。
ここは俺の土地だ。誰も、入れねえ。土地だけじゃねえ。心にも土足で踏み込ましちゃなんねえぞ
地位やお金やモノを失いたくないばっかりに、人は簡単に自分の心を売ってしまいます。自分の生き方を貫くよりも、物欲や安定を優先します。いや、そもそも自分の生き方すらないのかもしれません。
逆に、地位やお金やモノになびかず、周りの誘導や脅しなどにも屈せず、自分の生き方を貫く人がいます。身体に一本の強力な軸が通っている状態です。もしくは腹の座っている状態です。
身体に強力な軸が通っている状態のことを身体意識で言えば、それはゆるぎない正中線であり、腹の座っている状態のことを身体意識で言えば、それはダイナミックな丹田になります。
そして、いざという時に不安や恐怖をものともせず、自分の信念を貫き通し立ち向かっていく精神状態を、この小説では比喩として「牙」と言っています。
一幸、牙だ。おまえは牙を持たなくちゃ駄目だ。牛みてえじゃ、馬鹿にされるだけだぞ
牙を持っている人間は、文字通り強い人間です。ここで言う強いとは心が強いということです。泥臭い表現を使えば不屈の精神力を持っているということです。
牙を研ぐための良い方法は、自分で考え自分で決めて実行すること。これを日常的におこなうことです。これが日常的に行えていれば、いざというときに、牙が発動します。牙が発動するとは、いざという時でも、自分の信念にそった考えで決めて行動することが出来るということです。
牙をなくしちゃなんねぇ。いざという時にゃ、牙を向けるのが、男ってもんだ
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。