前回は「無意識を意識に上げる方法③子供の頃の意識で過ごすの続き」でした。
多くの人は大人になると意識、感覚、感情が閉じてしまいます。
それらを再び開いていくには、子供の頃の意識で過ごすというのがとても有効なのです。
ですが、実際に子供の頃の意識で過ごしてみようとしても、なかなか出来ないことが多いことに気づきます。
だがしかし、子供の頃の意識で過ごしてみようとしたことで、今までまったく気にしていなかった子供の頃の自分と変化した部分が意識に上がったことになります。
そして意識に上がるとは気づきにつながります。
気づきがあってこそ、その後にどうしたいのか、自分はどうありたいのかということにつなげていけるのです。
といった感じだったかね、前回は。
みぃちゃん「まぁ、だいたいは合ってるんじゃないの?」
なら大丈夫か。
なんか言いたいこと言っていると、話がずれてきたりする傾向がなきにしもあらずなので、もう少しテーマに沿って端的にわかりやすく書いていこうかなと心掛けようかなと考えたのですよ。
「たしかに、『無意識を意識に上げてコントロールする方法』のことを書いているのか微妙になっている気もしなくもないわね」
そうなんだよな~
じゃぁ、今回はちょっと強引に軌道修正していきましょうか~
では、言いたいことをぱぱぱっとわかりやすく書いていきましょう。
ここまでのまとめ
私たちは大人になるにつれて周りの教育や環境の影響、またネガティブなメッセージから自分を守るために、意識、感覚、感情といった受容システムが閉ざしてしまった。
受容システムが閉じてしまっているから、新しいことに挑戦したり、自分から何かを変えていこうという気になりにくい。
でも、自分はもっと成長したい、新しいことにチャレンジしたいと自分の可能性を追求することに目覚める人もいる。
しかし受容システムが閉じてしまっているから、現状を作っている無意識の思考や行動に気づきにくいし気づいてもコントロールが出来ない状態にある。
なのでまずはその閉じてしまった受容システムを開いていこうということなのである。
で、受容システムを開くには受容システムが開いていた子供の頃の意識で過ごすのが有効。
(厳しく教育される前の)子供の時は不安よりも希望に満ちていて、無邪気であり、世の中のことに対し興味津々であり、何でも受け入れるし、好きなことにはすぐに飛びつくし、すぐ笑うし、すぐ泣くし、常に動いているし、動いてないときは何かに没頭しているし、と言う感じで自分の意識、感覚、感情をそのままに生活していたのです。
でも、大人になってそれをそのままやっていていいものかと思う人もいると思います。
また、すべてを受け入れるなんてことも当然ながら出来ないでしょう。
だがしかし、私たち大人には子供の頃にはなかった理性と知識があります。
理性と知識により、必要か必要でないかを選別することができるのです。
自分にネガティブな情報だと判断したら受け入れなければいいだけです。
それにより、受容システムが閉じている時は無意識が現状以外のことはすべて受け入れ拒否していたことが、受容システムが開いたことで今まで見えていなかった新しいものが見えるようになり、そこから新しいことを取り入れたり今までの自分を変えるきっかけを作ったり、人生をさらに楽しんだり自分を成長させたりということにつながってくるのです。
とまぁこういうことで、子供の頃の意識で過ごすことで受容システムを取り戻そうと言っているわけです。
で、そのために具体的にどうしていこうかって話しに入ります。
自分を無条件で受け入れること
受容システムですから、すべてを受け入れることから始まります。
無条件にすべてを受け入れます。
その第一弾としてまずは自分自身のことをすべて受け入れます。
受け入れるというのは、自分を愛する、自分を認めるということです。
自分を愛し認め受け入れることが出来るからこそ、他人や周りの世界も無条件に受け入れることが出来るようになるのです。
自己受容です。自己受容がすべての土台になります。
自己受容とは今の自分を全面的に受け入れることです。
自分には価値があると認め受け入れることです。
私たちは何に付け良い悪いや善悪の判断をして自分を責めてしまいがちです。
ですが自己受容するということは、自分のしたことに対してジャッジをせず「それが私なんだ」とそのまま受け入れることです。
自分が何をしても、他人に何を言われても自分を批判することはしません。
とにかく自分を肯定して受け入れることです。
自分を好きになって自分を大切にするのです。
ここを受け入れてもらわないことには、何も始まりません。
そして自己受容するために必ず必要になってくるのがリラックスすることです。
といったところで、お時間となってしまいました。
続きはまた次回に!!
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。