前回の記事は「気楽に好き勝手やるのが一番だって気づいた(蟹喰い猿フーガ)」でした。
嫌味な自己憐憫に拘わってたら行き抜けはしない(蟹喰い猿フーガ)
とうことで(どういうことだ)今回もまた「蟹喰い猿フーガ」からの引用です。
エル・ドゥロと一緒になってから次から次へととにかくいろんなことが起こる。こういうときめくような体験は日本でもサンフランシスコでも味わったことがない。これからも殴りあいなんかしょっちゅう起こるだろう。嫌味な自己憐憫に拘わってたら生き抜けはしない。
今後はもっと気ままにやろう。船戸与一著「蟹喰い猿フーガ」
いやはや、今回もまた「蟹喰い猿フーガ」である。
もう今年一年このテーマで突っ走ってもいいのではないかという感じに続いていますね。
このペースでいけば、そのうち『「蟹喰い猿フーガ」に学ぶ人生を最高に愉しんで生きる人生哲学』なんて本を書くかもしれません。まぁその時は是非ご購入を!!
本体の「蟹喰い猿フーガ」は1990年代の本なのでそのうち在庫もなくなるかもしれないから、興味のある人は今のうちに購入をしておきましょう。
で、今回は自己憐憫(じこれんびん)です。
自己憐憫とは、簡単に言えば「自分ってなんてかわいそうなんだろう」「自分ってなんて不幸なんだろう」「なんで自分ばっかりこんな目に合うんだ」みたいなことを思うことです。
自分の置かれた環境や状況を不幸だと嘆いて不満を漏らすことや自分を憐れむことで「悲劇のヒロイン」を演じることも自己憐憫です。まぁなんとなく想像が付きやすいとは思います。想像が付きやすいのは、あなたの周りにこういう人がいたり、もしくは自分自身がこういう気分になったことがあるからです。特に、うまくいかないことが続いたり、何かに絶望したりした時に自己憐憫に陥りやすくなります。
自己憐憫はネガティブな感情です。自分指針のネガティブな側面にフォーカスしてその感情を増幅させ、あたかもそのネガティブ自体が自分自身かのような思い込みです。
で、少しかっこいい言い方をすれば「悲劇のヒロイン(ヒーロー)」的な感じで、その状況に酔いしれているような、ある意味で脳内お花畑に浸っている状態です。
この自己憐憫の質の悪いところは、本気で悩んでいる本人には申し訳ないですが、自分が不幸であることにフォーカスすることで「人生がうまくいかないことの言い訳にする」というマインドがセットされている人が多いということです。
そうなると「どうせまたダメに決まっている」「こんなこと私には無理」「自分がうまくいくはずがない」という思考がコンフォートゾーンとなり、それはある意味では自分で目の前に落とし穴を掘って、で自らそこにはまり「やっぱり思った通りだ」という逆の意味で自分の思う通りにゴールを達成している悪循環にはまってしまうのです。
「かわいそうな自分」「不幸な自分」「あわれな自分」に臨場感を持つことで、それを次々と実現させてしまうのです。不幸な自分が好きな人はそれでいいでしょうが、多くの人は幸せな人生を歩んでいきたいのではないかと思います。
であれば過剰な自己憐憫は持っていてもいいことはほとんどありません。まぁたまに同情されて気分を良くすることもあるかもしれませんが、そのような考え方が原因の不幸に対しての同情など長続きはしません。
自己憐憫はネガティブな思考を呼び自己評価もどんどん下げていきます。そうなるとひとことで言えば楽しくない人生になってしまいます。
では、どうしたらいいのか?
自己憐憫をやめたらいいのです。
「自分が不幸だ」「自分はかわいそうだ」「自分はあわれだ」と思うことをやめたらいいのです。
具体的な方法をひとつ上げるとすればは、人生の悪い部分にフォーカスするのではなく、良い部分にフォーカスすることです。『自分はなんて幸せなんだろう」と思うことです。
毎日食事が出来ること。今日も会社に行けること。好きな読書が出来ること。温かい部屋にいられること。今日一日無事に過ごせたこと。安全に暮らせることいつでも水が飲めること。庭の花が咲いたこと。かわいいあの子にあいさつされたこと。このブログが読めること。
あなたの周りには幸せがあふれています。ただその幸せに目を向けようとしていないだけなのです。幸せに生きるコツは、嫌なことを気にするよりも良いことを気にすることです。単純です。あなたが何を見て生きるかです。
エル・ドゥロと一緒になってから次から次へととにかくいろんなことが起こる。こういうときめくような体験は日本でもサンフランシスコでも味わったことがない。これからも殴りあいなんかしょっちゅう起こるだろう。嫌味な自己憐憫に拘わってたら生き抜けはしない。
今後はもっと気ままにやろう。船戸与一著「蟹喰い猿フーガ」
嫌味な自己憐憫に拘わってたら(愉しく)生き抜けはしないのです!
今日から「かわいそうな自分」は卒業しましょう!!
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。