強烈に輝く光だけを道しるべとする

 

前回の記事はひりつくような焦燥だけが~ゴールへの過程を苦行にしてませんか?でした。

今回も小説『Fate/Zero』からの引用でスタートです。ウェイバー・ベルベットとその英霊サーヴァントのライダー(英雄王・イスカンダル)の会話とウェイバーの心象風景になります。自分の不甲斐なさから聖杯戦争から身を引こうとしたウェイバーの心の変化が見られる場面です。

勝ちに征くのだという揺るがぬ認識だけが(Fate/Zero )

泣きじゃくる少年の涙を、まるで酒の席の痴れ事であるかのように笑い飛ばしながら、征服王はばんばんと彼の細い肩を叩いていなす。

「貴様は今日まで、余と同じ敵に立ち向かってきた男ではないか。ならば、朋友(とも)だ。胸を張って堂々と余に比肩せよ」

「……ッ」

ウェイバーは自嘲を忘れた。今日までの屈辱を、明日への怯えを、いま死に臨むこの瞬間の恐怖を忘れた。

ただ〝勝ちに征くのだ”という揺るがぬ認識だけが、空っぽの胸に根を下ろす。

敗北もない。恥辱もない。彼はいま王と共にある。その覇道を信じて馳せるなら、どんなに頼りない足ですら、いつかは世界の果てにまで届くだろうと——疑いもなくそう信じられた。

虚淵玄『Fate/Zero 6 煉獄の炎』

 

何か新しいことにチャレンジする時や、一筋縄ではいきそうもない道を目の前にした時に、あなたの耳にはとても親切な囁き声が聞こえてきます。

「どうせ自分なんかにこんなこと出来るわけないじゃん」という自嘲の声

「今までにどれだけ挫折してきたんだよ、どうせ今回も無理でしょ」という屈辱の声

「そんなことしたら明日からどうなるか不安だから、今まで通りにしておこう」という明日への怯え

「その挑戦によって、自分から何かが失われてしまうのではないか」という恐怖

 

これらの囁き声は、本能的に自分を守ろうとするホメオスタシスのようなシステムとして自動的に起動してしまうものです。無意識の習慣として勝手に作動してしまうものであって、これをやる気とか気合いとか根性でなんとか抑え込もうとしても、なかなか難しいことです。

 

長年慣れ親しんだこのシステムは盤石であり、それと正面切って争うのは無謀です。無意識の習慣と化したホメオスタシスを書き換えるには、地道に新たな習慣を上書きしなければならないのです。

 

だがしかし、何か新しいことに挑戦したいと思った時に、悠長に自分のホメオスタシスが着変わる書き換わるのを待っている時間はありません。ホメオスタシスを書き換えてからとか言っていたら、いつまでたってもそれを言い訳に断念するだけです。だから、やりたいと思ったことはすぐにやるべきなのです。

 

でも、その時には無意識のホメオスタシスが、自嘲や屈辱や怯えや恐怖といったとても親切な囁き声で、あなたを安心安全な現状へと引き戻そうとしてきます。しかもそれらは自動的に起動してくるので、ちょっとやそっとのやる気を見せたぐらいでは太刀打ちできません。

 

では、そんな時はどうしたらいいのでしょうか?

まず、自嘲や屈辱や怯えや恐怖といったことに対処するのは諦めます。そこを短期的に克服しようとはしません。そうではなく、それらがあっても気にならないようにします。少し専門的に言うとスコトーマに隠します。

 

で、どういった方法で自嘲や屈辱や怯えや恐怖をスコトーマに隠すのか?

それは強烈に輝く光、その一点のみに焦点を合わせることです。光というと怪しげな雰囲気が漂って来そうですが、光というのはもちろん比喩であり、具体的に例をあげれば「自分のゴールに対する本気の気持ち」「自分の対する大きな自信」「自分の信じることへゆるぎない信頼」というような、あなた自身やあなたの進む未来を輝かせている光のことです。光イコールゴールの輝きです。

自分の中にある、自嘲や屈辱や怯えや恐怖といった弱さを自覚しているからこそ、進むべき道しるべとして、強烈に輝く光だけを自分をナビゲートしてくれる指針とします。そうすることで、自嘲や屈辱や怯えや恐怖といった弱さは光の影に隠れて見えにくくなるのです。

 

ウェイバーは自嘲を忘れた。今日までの屈辱を、明日への怯えを、いま死に臨むこの瞬間の恐怖を忘れた。

ただ〝勝ちに征くのだ”という揺るがぬ認識だけが、空っぽの胸に根を下ろす。

 

ウェイバーは自嘲や屈辱や怯えや恐怖を克服したわけではありません。ただそれらが見えなくなっただけです。スコトーマに隠れたことで忘れてしまったのです。

そして見えているのは『勝ちに征くのだ』という強烈に輝く光、その一点のみです。

 

しかも、ウェイバーがその強烈に輝く光に焦点を当てられたのも自分の力ではありません。それはライダー(英雄王・イスカンダル)からの言葉によってもたらされました。

 

「貴様は今日まで、余と同じ敵に立ち向かってきた男ではないか。ならば、朋友(とも)だ。胸を張って堂々と余に比肩せよ」

 

ウェイバーが信頼し本物の英雄として認めているライダーが、今までの自分を朋友として認めてくれたことにより、自嘲や屈辱や怯えや恐怖が見えなくなったのです。

 

ウェーバーにしてみればゴールよりも、ライダーの在り方そのものが強烈に輝く光であり、その光に対するゆるぎない信頼があるからこそ、ライダーの言葉により自嘲や屈辱や怯えや恐怖が見えなくなったと言う方が正しいかもしれません。

 

敗北もない。恥辱もない。彼はいま王と共にある。その覇道を信じて馳せるなら、どんなに頼りない足ですら、いつかは世界の果てにまで届くだろうと——疑いもなくそう信じられた。

 

「強烈に輝く光が自分と共にあるのなら、自分の足がどんなに頼りなくてもいつかは自分のゴールに届くだろう」そう思える光とともに歩むことが出来れば、それは自分の弱さや恐怖などは、気にならなくなるのです。怯えや恐怖に出くわしてしまったら「こんにちは」と笑顔で挨拶を交わして、またすぐに光の方向を向けばいいのです。

 

そして、自分の信じる光の方向に歩んで行くことが、あなたのゴール達成であり在り方となるのです。

 

Fate/Zero(6)煉獄の炎 (星海社文庫)

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

おすすめの記事