『今までの自分だったら絶対にしないであろう行動』が新たな気づきを起こす

 

前回の記事はその言動はいつでも必要に迫られた上での疑う余地のない選択ばかりだったでした。

今日で平成の世が終わりですね。

だからどうということもないのですが、、、

 

ということで、今回も小説『Fate/Zero』からの引用です。悩める言峰綺礼がなんとなく一線を超えてしまったシーンの心象風景となります。

今夜明らかに綺礼は、遠坂時臣の忠臣としての一線を越えたのだ(Fate/Zero)

そして、時臣の操る炎が雁夜を捉えた瞬間……あのとき自分が懐いたものは、まぎれもなく落胆の念ではなかったか?

ふと気がついたときにはもう、綺礼は傷ついた雁夜の肉体に、応急処置の治癒魔術を施しはじめていた。そうやって昏睡状態ながらも容態の安定した雁夜を運んで戦場を離脱し、こっそりと人目を忍んで間桐邸の門前に置き去りにしてきたのが、およそ一五分ばかり以前のことだ。

(略)

深山町から新都の外れまで、冬木市を横断する長い距離をそぞろ歩きながら、今も綺礼は答えの出ない自問に懊悩していた。——いったい自分は、何故あんなことをしたのだろうか。

(略)

だが、時臣を宿敵として付け狙う間桐雁夜を延命させたことは、まぎれもなく時臣の仇となる。言い訳の余地のない謀反だ。確たる意図すらないままに、自分は途方もないことをしでかした。今夜明らかに綺礼は、遠坂時臣の忠臣としての一線を越えたのだ。

そこまで事の重大さを自覚しておきながらも、なぜか綺礼の胸に後悔の念はなく、むしろ不可解な高揚感さえ感じている。

アーチャー——あの英雄王たる英霊に、自分は誑かされているとでもいうのか?

虚淵玄『Fate/Zero 4 散りゆく者たち』

 

常に命令には忠実に、義務には従順に、倫理には厳格に生きてきた言峰綺礼です。

 

常に命令には忠実に、義務には従順に、倫理には厳格に。そう努めてきた綺礼である。その言動はいつでも必要に迫られた上での、疑う余地のない選択ばかりだった(虚淵玄『Fate/Zero 4 散りゆく者たち』)

 

その綺礼がいよいよ、自分の中の本音の部分に自然と身体が反応するようになってきました。

ふと気がついたときにはもう、綺礼は傷ついた雁夜の肉体に、応急処置の治癒魔術を施しはじめていた

 

しかし、その行動は身体が勝手に反応してしまったのであり、後からいったい自分は、何故あんなことをしたのだろうかと自問し悩みます。今までさんざん悩んできた綺礼が、ここでも悩みます。

 

悩むこと自体に、良いも悪いもありません。ただし悩み方次第で、それがセルフコーチングとして機能し肯定的な変化をもたらこともあれば、ネガティブの連鎖で自ら墓穴を掘っていくこともあります。

 

ここで、綺礼が悩んで自問していることは、自分がしてしまった行動についてです。ここで大事なことは、自問している内容が『自分がしてしまった行動』であるということです。さらにその行動が『今までの自分だったら絶対にしないであろう行動』だったことです。

言い訳の余地のない謀反だ。確たる意図すらないままに、自分は途方もないことをしでかした。今夜明らかに綺礼は、遠坂時臣の忠臣としての一線を越えたのだ

 

『今までの自分だったら絶対にしないであろう行動』というと、そこにはリスクが見え隠れし何か尻込みしてしまうようなイメージを持たれるかもしれませんが、『今までの自分だったら絶対にしないであろう行動』には基本的にはポジティブな側面しかありません。

『今までの自分だったら絶対にしないであろう行動』をしてそれが成功した場合は当然それだけでポジティブであり、さらには世界が広がった喜びさえも感じられるかもしれません。逆に失敗したと思われるような結果になったとしても、その失敗からはたくさんのことを学ぶことができ経験値も上がるので、結果はどうあれ何もしないよりは確実に成長することになります。

 

また『今までの自分だったら絶対にしないであろう行動』をすると新しい自分を発見することもあります。

そこまで事の重大さを自覚しておきながらも、なぜか綺礼の胸に後悔の念はなく、むしろ不可解な高揚感さえ感じている

 

往々にして、新たな気づきというのはセミナーで講師の話を聞いたり本を読んでいる時などよりも、何か行動した後のふとした習慣に身体が反応して感じるものです。勉強で論理的に学ぶのも良いですが、それだけだとどうしても理屈だけを知ってわかったつもりになってしまいがちです。

 

新しい気づきというのは、言わば脳に新しい神経回路が開通したようなものであり、その気づきは論理的な思考とは関係なしに、「あっ!こういうことだったんだ!!」と身体全体で味わうような感覚です。そしてそれは、自分が知った気になっていたことが本当に腑に落ちた瞬間の感覚でもあります。

 

さらに気づきの時に感じるのは高揚感です。『自分の追い求めてきたのはこういうことだったんだ』という高揚感。これはみなさんも何かしらの気づきの瞬間に感じたことがあると思います。

 

『今までの自分だったら絶対にしないであろう行動』は気づきのチャンスです。これは何も大それたことをしなさいということではありません。身近なちょっとしたことでも『今までの自分だったら絶対にしないであろう行動』はたくさんあります。

 

例えば、朝起きて家族と顔を合わせた時に、最高の笑顔で挨拶する(普段あいさつしない、または笑顔を見せない人の場合)ことも普段は絶対にしない行動であり、これをすることに何のリスクもありません。しかも、これだけであなたの心の中は明らかに変化し、何より周りの人も喜びます。

 

まぁ明日から令和の時代となるということで、ちょうどいい機会だと思いますので(なんのこっちゃ)、毎日ひとつずつ小さなことでもいいので『今までの自分だったら絶対にしないであろう行動』をしてみることをおすすめします。

 

『今までの自分だったら絶対にしないであろう行動』には、その結果が成功であれ失敗であれ、あなたにとってはポジティブな側面しかなく、さらに新たな気づきや、新しい自分の発見までもが隠されているのです。

 

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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