世界は大きなおもちゃ箱

 

前回の記事はネガティブラポールを防ぐ簡単な方法でした。

今回も小説『Fate/Zero』からの引用です。雨生龍之介の人生のクライマックスとも思える瞬間における心象風景になります。

常識の枠の外にはどれだけ面白可笑しい世界が待ち受けているか(Fate/Zero )

ざまぁみろ、と龍之介は喝采する。

どいつもこいつも大口開けて、馬鹿みたいに目の前の現実を眺めている。それまで自分たちが盲信し崇め奉らっていた‟常識”とかいうクダラナイ偶像が音を立てて崩れ去っていく様を、連中はなすすべもなく見守っているしかない。

どうよオマエら? 今日までずっと損してきたんだぜ。悔しいだろ。情けねぇだろ。

常識の枠の外にはどれだけ面白可笑しい世界が待ち受けているか、お前らは予想もしなかった。試してみようとさえ思わなかった。

オレか? オレはもちろん解ってた。予想してたし、期待してた。いつかきっと物凄いモノが見られるって。だから普通じゃやらない事をやらかして、毎日サプライスを求めて、血眼になって走り回ってきた。

そうして——やっと見つけたのだ。探し求めていた玉手箱を。

虚淵玄『Fate/Zero 4 散りゆく者たち』

 

私たちは、知らないことだらけ、わからないことだらけの中で生活しています。知らないことだらけ、わからないことだらけではありますが、多少は今までの経験の中で知識として持っているものもあるので、今まで通りの生活を送っている分には何も困りません。

 

同じことの繰り返しのような生活を送っていると、自分が知っている世界のことがこの世界の全てのように思えてきます。井の中の蛙です。そこで認識している世界が全てだと思い込み、そこで何事も完結するような気がします。

 

そうして、その閉じた世界における、あなたの常識が出来上がります。そしていつの間にか、その常識の中でのみ過ごすことを安住の地とします。

 

しかし、生きている間に自分が常識としている世界以外にも、まだ別の世界がたくさんあることに何度も気づかされます。気がつくのですが、多くの人はその別世界を傍観するか見て見ぬふりをし、決して自分の常識の枠から出て活動してみようとはしません。

 

なぜ、自分の常識の枠から出て活動してみようとしないのかといえば、今のままの生活で何の不自由もなく暮らせているからです。なんだかんだ言いながらも、なんとなく満たされた生活を送っているのです。だから、あえて必要以上に行動を起こす必要がありません。

 

ほとんどの日本陣は住む場所があって、食事もしっかり取れているのだから、基本的にはハングリー精神なんて持ちようがないのです。生き残るために歯を食いしばったり、あえて知らない世界を知る必要もないのです。

 

だから、もしあなたが新しいことに対し行動することに戸惑っていたり、何とかしようと思っているのに何も変えられないと思っていても、自分を責める必要はありません。自分を責めるくらいなら、今のあなたの常識の中で生活を楽しんで行けばいいのです。別に今のあなたを変えたり成長させたりしなくても幸せに生きることは出来ます。あなたが楽しく幸せに生きることを優先してください。

 

常識の枠の外にはどれだけ面白可笑しい世界が待ち受けているか、お前らは予想もしなかった。試してみようとさえ思わなかった

 

それでもなお、自分をなんとかしたいと思っている人は、今の自分に退屈して飽きてしまっているのではないでしょうか。

 

自分の常識の枠の中で暮らすということは、いつも同じおもちゃで遊んでいるようなものです。そしてそのおもちゃで遊ぶことにも飽きてしまっています。

 

ただし、世界というのは大きなおもちゃ箱のようなものであり、宝の山なのです。

少し視点を変えたり行動範囲を広げたりするだけで、今まで知らなかった新しいおもちゃが目に飛び込んできます。探せば楽しいことや面白いことはそこらじゅうに転がっているのです。子供の頃とは違い大人になるといくらでも行動範囲は広げられます。自分の足でいくらでも新しいおもちゃを探すことが出来るのです。

 

自分を変えようとしても上手くいかないという人の多くはは、クソ真面目に学びクソ真面目に学んだとおりにやらなければいけないと思いがちです。そしてさらにお金と世間の常識というフィルターがかかります。その学びや行動が、お金を稼ぐことにつながるかどうか、世間の人からどう見られるかどうかというフィルターがかかり、本当にやりたいことをやるというモノの見方を濁らせます。

 

だから、自分を変えようとしても上手くいかないという人は真面目に自分を変えるという考え方を一度改めてみる必要があるかもしれません。そもそも自分が変わる時というのは自分を変えようと思っている時ではなく、いつの間にか変わっていたということの方が多いのです。

 

では、自分を変えようと思わずにどうすればいいのでしょうか?

ここでおすすめしたいことは、ひたすら自分が面白いと思えること、楽しいと思えることを探し求めることです。

 

世界を大きな遊び場だと認識し、おもちゃ箱だと認識し、自分のお気に入りの遊びやおもちゃを見つけるために調べたり知識をつけたり行動したりするのです。

 

ここでフォーカスするのは遊ぶことであり楽しむことです。

もともと私たちは楽しく生きたいのです。であれば、成長やお金や世間の常識や見栄などはいったん脇へ置いておいて、楽しく生きることを最優先事項として、楽しいこと面白いことに目を向ければいいのです。

 

毎日サプライスを求めて、血眼になって走り回ってきた。

 

楽しいこと、面白いことといえども、それは探さなければ手に入りません。それこそ『毎日サプライスを求めて、血眼になって走り回ってきた』というような、自分の常識の外に出て、必死になる必要もあります。でも、楽しいこと、面白いことのために必死になることは、本人にとっては苦痛ではないのです。

 

そうして——やっと見つけたのだ。探し求めていた玉手箱を

 

いつの時代も、物語の主人公は中身の解らない玉手箱を追い求めて冒険しながら、その過程の中で成長しヒーローとなっていくのものなのです。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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